積み重ねてきた日々と願い続けた愚かな君に捧ぐ旋律。「愚民の日」で辿るDIAURAの歴史が証明するものとは――
去る2013年、ファンクラブ「愚民党」が正式に発足され、同年より9月3日を「愚民の日」として様々な施策を展開、2016年以降はこの日にワンマンライブを行うことが恒例となったDIAURA。制定から満10年となる2023年9月3日、彼らはZepp Hanedaで愚民たちとの大切な記念日を迎える。そんな年に一度の特別な夜を前に、VifではDIAURAの4人にインタビューを実施。過去10年の「愚民の日」を振り返ると共に、今年の「愚民の日」への思いと最新曲「PROVE」についてじっくり話を聞いた。
2013年に見切り発車でスタートした「愚民の日」の変遷
ファンの呼称「愚民」の語呂合わせで9月3日を「愚民の日」としてきたDIAURAですが、スタートは2013年のUstream生放送「愚民党員拡大計画」でした。
yo-ka:あ、それがその年なのか…!
翔也:Ustream…(笑)。
yo-ka:佳衣ちゃんがアレをやった時だ。
佳衣:「結晶」の…(笑)。
yo-ka:ハングル(偽韓国語)ver.。あれが最初か。ヤバい、舐め腐ってるね(笑)。その時ってバンド自身もまだそんなに「愚民の日」が明確になっていなかったので、思い付いたからやってみようくらいの、言わば見切り発車みたいな感じで始まっているんですよね。
スタジオライブ6曲&トークの2時間で。アルバム『FOCUS』(2013年12月発売)のレコーディング中の時期だったはずです。
yo-ka:あ〜…!
達也:曲も一応披露していたんですね?
していましたね。その中で「今後毎年やっていきたい。理想はこの日にワンマンをやること」と話していて、有言実行してきました。DIAURAはバンドの内面的なモードが「愚民の日」に表れやすかったりするのかなと。
yo-ka:近年のDIAURAの「愚民の日」に対するものはそういう感じではあるんですけど、一つ前のモードの時は、この日は年に一回の祭りごとだから楽しくやろうよという気持ちのほうが強かったです。そこから、一緒に挑んでいく、一緒に最高のライブを作ろうというモードに切り替わっていって。10年もやっているとグラデーションがあるので、明確にどこからというのは難しいんですけど。
今回、実は10年分の「愚民の日」のセットリストをまとめてきました。
全員:えっ…!?
佳衣:すごい(笑)。
yo-ka:マジすか、うわぁー。
翔也:どこで見つけてきたんすか(笑)。
達也:これは嬉しいなぁ。
2013年の「結晶」は入れてないですけど(笑)。こうやって並べてみると、2016年に純粋なワンマンライブという形になったので、まずそこまでを一括りとして、その後2年ごとにモードチェンジしている雰囲気があるなと。2020年はコロナ禍真っ只中のため、イレギュラーですけど。
yo-ka:言われてみると見事にそうかも。2017〜2018年は一貫した戦闘モードというか、ただただ向こう見ずに挑む感じだった気がしますね。2019年はDIAURAの環境が変わった年でもあって、2020年はコロナ禍なので、またモードがちょっと変わっていて。その後、色々開き直ったというか振り切れたのが2021〜2022年…確かに2年スパンで変わっている気がする。すごっ。
皆さん、一覧で見てみていかがですか?
佳衣:見ると記憶が蘇ってきますね。曲がその時の心境を表しているなという感じはあります。あと、結構DIAURAのライブって曲数が凝縮されていると言われるんですけど、こうやって改めて見ると確かになと思いますね。本編14〜15曲くらいでやっているので。最近だと少し増えている時もありますけど。
翔也:「愚民の日」に限らず最近のワンマンもそうなんですけど、やりたいことがたくさんあるから、どうしても増えていくんでしょうね。どれも印象深いですけど、やっぱり新宿ステーションスクエアでのゲリラライブ(2014年)の記憶が強いですね。そこからの流れでBirth Shinjuku(現HOLIDAY SHINJUKU)でライブをやったということですよね?
すごい年でしたよね。
翔也:ゲリラライブの直前、車の中で待機していたんですけど、そこの何とも言えない空気感というか。誰も一言も発さないんですよ(笑)。
yo-ka:そうだっけ(笑)。
翔也:あの瞬間にしか感じられない空気というのを未だに覚えていますね。
達也:印象深いシーンも色々あるんですけど、ちょっと苦い思い出も蘇ってくるなと(笑)。例えば新宿ステーションスクエアの時、音量制限があるのを僕は聞いていなくて、ドラムのセッティングも自分でできなかったのでやってもらっていたんですけど、いざ叩き出したらベコベコの音が鳴って(笑)。音量制限があるからチューニングも下げていたみたいで、「うわっ、何だこれ!? 壊れた!?」くらいに思ってすごくテンパっちゃって、確か「赤い虚像」の終わり方をいつもと違うようにしていたんですけど、そこをミスったなぁっていう記憶が(笑)。
そうだったんですね(笑)。
達也:やっぱりこうやって見返してみると、すごく面白いですね。
yo-ka:曲の細かな流れは変わっているんですけど、軸の部分はほぼ変わっていないなと。始まりと終わりとか、そこに向かう中で必要だと思っている部分は今も変わっていないので…俺すごいなと思いましたね。やっぱり大事なところはずっと大事なままやっているんだな。
翔也:このセトリ、お客さんからしたら普通に見たいですよね。嬉しいと思います。
では掲載しましょう。
【2013〜2022年「愚民の日」セットリスト】
「愚民党賛歌」が生まれた2017年からバンドの環境を変えた2019年
改めて振り返りますが、バンドとして2017年からガツッとモードチェンジした感覚は強いですか?
yo-ka:心の部分で浮き沈みってあるじゃないですか。そういうのも自分たちの歴史の中にやっぱり存在するので、もがきながらやっていた時期もありますよね。2017年の豊洲PITは「行くしかねー!」みたいな精神性を感じます。しかも「愚民党賛歌」ができたのがこの時期なんですよね。
豊洲PITのラストに披露されて、同年10月に愚民党限定シングルとして発売されました。
yo-ka:これができたのは大きかったかもしれないですね。この曲は基本的に「愚民の日」かFC限定ライブでしかやっていなかったんですけど、『ANTISM』のツアー(2023年4〜6月開催)で初めて普通のワンマンの中でやったという。だから、今また何かが変わり始めている気がしますね。
佳衣さんが自分の曲にメロディーを付けてくるようになったのも、このくらいの時期だとか。
佳衣:正式には「レゾナンス」(2018年10月発売のシングル『MALICE』収録)からなので、そういった意味でも確かに自分の中での曲の作り方が変わったタイミングなのかなとは思いますね。
ちなみに、豊洲PITの時はyo-kaさんの体調が悪かったんですよね。
yo-ka:当日、病院に行っていました。朝、声が出なくてビックリしましたもん。
佳衣:ちょっと不安な気持ちは確かにあったんですけど、本番は何とかやり切れたので、そういう意味でも記憶に残った日ですね。
翔也:やるしかないっていうところではあったので、頑張ってもらいつつカバーできるところはしようと。もちろんどのライブもそうなんですけどね。でも、当日病院に行くというのは滅多にないことなので、ちょっとは焦りましたよね。しかも過去最大キャパでもあったし。無事に終えられたので今は笑い話にできるんですけど、あの時は大変でしたね。
達也:僕も同じような気持ちでした。体調不良を治すことはできないので、他の部分でカバーできたらなと。とにかく「無事にライブができますように」と祈っていましたね。
2018年はZepp DiverCityでした。その時のyo-kaさんのMC「俺たちの居場所は俺たちが作る」という言葉通り、環境を変えることになった2019年の色々な発表に向けた動きが水面下で行われていた、大変な時期だったと思います。
佳衣:そうですね。
後にyo-kaさんが「妥協に慣れたら自分の言葉を失くしていくから、そうなるくらいだったらもう俺はやりたくないと思った時期。だから、本当に生きるか死ぬかという2018年でした」と言っていて。
yo-ka:ある種、分解寸前くらいまでいっていましたね。今思えば、よく持ち堪えたもんだなと思います。だから、MCの言葉は自分に言い聞かせていた部分があったと思うんですよね。頭ではわかっているけど、心が反発している時期でもあったから。MCで言ったことのほうが自分の中で大きなことだったので、あえて言葉に残したという感じ。失くすのは簡単なので、自分の中でせめぎ合っていましたね。
佳衣:今思い返せば、その頃は自分自身で精一杯みたいなところもあったと思いますし、色々な意味で余裕がなかったのかなと。今と比べて周りが見えていない時もあったと思うし。ただ、そういう色々な事情とは別で、「愚民の日」をお祭り的な要素のものにしたいという気持ちはあったんですけど、その中でもちゃんとDIAURAのカッコよさを出したいと思っていて。そこだけはどのライブもちゃんと押さえているなと思うし、このZepp DiverCityのセトリは特にそういうのが表れている気がします。
達也:2018年は片仮名のディオーラも入ってきているので、これまでとは違うものを見せてあげようという気持ちが強かったんだなと思いますね。
翔也:先ほどの話の流れ的に、この年は大変だっただろうなというのはあるんですけど、自分の性格がすごく楽観的なので、あまりその大変さを覚えていないというか(笑)。今が良ければいいというタイプなので。でも、やっぱり環境が変わってからのここ数年は、本当に落ち着いて活動ができているなと感じます。なので、色々な苦労をしてよかったなというのは思うところですね。
環境を変えて最初の「愚民の日」となる2019年は、TSUTAYA O-EAST(現Spotify O-EAST)でした。ちょっと不思議だったのが、この年にグッとキャパを下げているんですよね。
yo-ka:それこそキャパ云々というのをあまり考えなくなりましたね。上げていかなきゃいけないというのは不自然な話で、然るべき場所でやれればいいという考えに変わりました。見せたいのはバンドの本質であって、変に義務感で「デカいところでやります!」みたいなのってどうなんだろう?と思い始めていた時期でもあったんですよね。だから、ちゃんとドッシリ構えてやりましょうというのが2019年でした。
新たにバンドが始動した時って、背伸びをした会場に挑戦して、どんどんキャパを上げていくという風潮がありましたよね。
yo-ka:そうそう、過去にそういう風潮があったじゃないですか。今も多少残っているとは思うんですけど。それって自分たちが自分たちを見失った要因の一つでもあったんですよね。要は実力が伴わないというか。なので、バンドの環境が変わるタイミングでちゃんと見直すことも必要だなというのもありましたし、あの風潮があるからそれまで疑いもせずにそういうもんだと思ってやってきた側面もあるので、そこに関しては疑問が生まれていましたね。もちろん大事なことでもあるし、否定はしないですけど。
この年は新曲「FINALE」で始まって、新曲「SIGNAL」で終わったことも印象深いです。
yo-ka:始まるぞという意思表示だったんだろうなと思いますね。ケリをつけなきゃいけないという気持ちだったのは覚えています。
翔也さんのMCでは「何かを諦めたつもりはありません」という言葉もあって。これに関して、後に「8年(当時)やっていると、そういう見られ方をする時があるんです。ただ、こっちは何も諦めていないというところで、それを改めて言葉にして言ってあげれば、お客さんも安心してくれるかなと思うんです」と話していました。
翔也:その通りですね。環境が変わって、お客さんは不安にもなるだろうし、「大丈夫なのかな?」という気持ちが強いと思ったので、そうやって言葉にしたんだと思うんですけど、それは今も変わっていなくて。「バンドって儚いものだ」みたいな話があるじゃないですか。俺、ああいう話はあまり好きじゃなくて。やっぱり何事も安心感があるほうがいいじゃないですか(笑)。
精神衛生上、そのほうがいいですよね。
翔也:お客さんももちろん普通に楽しんでくれる側面もあると思うんですけど、ある種、色々なものを持って応援してくれるわけなので、そこをあまり蔑ろにしたくないなと思っていますね。
佳衣:この年は明確に覚えているのが、SEもなくて「FINALE」始まりというのが、自分自身が奮い立った瞬間だったんですよね。お客さんを感動させたり楽しませるのはもちろんですけど、自分たちが奮い立つことで、こんなに良い効果があるんだなと改めて感じました。「FINALE」自体が個人的に大事な曲でもあるので、それで始まったことによって自分自身に火がついた感じもありましたし、痺れたという印象が残っていますね。
達也:俺も、新曲を披露した印象がすごく強くて。「FINALE」で「これがDIAURAだぞ」と、めちゃくちゃ高揚した記憶がありますし、最後の「SIGNAL」も初披露なのに愚民たちのヘドバンの勢いがすごかったなと。