DIAURA

もう一度ゼロから始めよう――10周年を迎えたDIAURAがフルアルバム『R.I.P.』に込めた思い。過去も今も未来も全て現実と続いていく。

1月に結成10周年を迎え、4月には新曲も含めたベスト盤『INCOMPLETEⅡ』をリリースしたばかりのDIAURAが、早くも全曲新曲かつ14曲(通常盤13曲)収録というフルボリュームのアルバム『R.I.P.』を完成させた。この意味深なタイトルに内包されるのは、決してネガティブではなくポジティブなメッセージ。そして、物理的にも心理的にもバンドの過去、今、未来を繋ぐ作品となった。毎年恒例の「愚民の日」公演を終えたばかりの4人にじっくりと話を聞いたこのインタビューを通して、最新作の全貌はもちろん、10周年を経て新たなスタートラインに立ったDIAURAの今を知ってほしい。


皆で乗り越えた10年というのも一つの意味のあることだったと思う(佳衣)

恒例の「愚民の日」を先日終えたばかりですが、今年はこの公演で10周年が完結した感覚が強いのかなと。

yo-ka

yo-ka:10周年とちゃんと言えるようになったのは今年の1月22日からですけど、周年ライブをできなかったというのもあって、どこかヌルッと10周年に入っていった感じだったんですよね。ただ、ツアーとか色々とやらせていただく中で、10周年というものは頭には大きくあったし、10年経って今この音楽、ライブがあるんだというのは、常に思いながらやっていて。そんな中でやっぱり「愚民の日」は年に一度の大事な日で、セットリストにもこだわったし、この1年のものが全部詰まっているというか。それはすなわち10年分ということでもあるんですけど。なので、10周年というものを昇華させてあげられたかなという気はしていますね。

佳衣:今のような状況がなかったとしても全く違う形で10周年を迎えたことにはなったと思うので、その時その時になってみないとわからないことが多いなと改めて気付かされました。皆で乗り越えた10年というのも一つの意味のあることだったと思うので、それを「愚民の日」で皆と分かち合えた気がしましたね。自分たちもやれることをやってきたつもりですけど、皆も皆なりに自分たちに伝えたいものを届けてくれたと思うんです。それをすごく感じられる1年になりました。

達也:まずは「愚民の日」にちゃんとライブができて、本当に良かったなという気持ちでしたし、来られなくても遠くから「おめでとうございます」という言葉をたくさんいただいたので、皆に支えられながら今があるんだなと感じました。今年はツアーの中でも結構懐かしい曲を多く披露していたので、積み上げてきたものを「愚民の日」で全部披露できたという感覚はありますね。次のツアーに繋がるものにできたんじゃないかなと。今回のSTUDIO COASTの景色は本当に良くて、これまでイベントで立った時よりも異様に広く感じました。温かい気持ちでステージに立てたので、すごく心地よかったですね。

翔也:今年はいつも以上にすごくフランクになっていたんですけど、なんでだろうと終わってから考えていて。「愚民の日」というもの自体が独り立ちした感があったんですよね。言ってしまえば語呂合わせで9月3日を「愚民の日」にすると打ち出して、最初はこっちが盛り上げようと頑張っていたんですけど、ここ最近はお客さんのほうが大事にしてくれる日になっているなと。だからもう、それに乗っかっているだけみたいな感じがあったんですよね。

ちなみに「Beautiful Creature」のベースソロでミラーボールが光ったのは、おおっとなりました。

翔也:それ、めっちゃ言われますね(笑)。テンポが上がっていたので俺は必死だったんですけど、照明がバッチリ決まっていたみたいで。

yo-ka:あそこは俺が書いた照明のオーダーで、元々ミラーボールなんですよ。ただあの日は音源のテンポではなくて、達也に「行けるだけ行け」と言っていたものなので、それでも決めてくれたというのは、照明さんも何度も一緒にやっているチームだからこそだろうなと。俺は見ている余裕はなかったですけど(笑)。

アンコールでしたしね(笑)。ところで、今回のセットリストは全体的に激しめだった印象が強いです。

yo-ka:多分、去年から今年にかけて考え方が変わったんでしょうね。去年はコロナでツアーが飛んで、シングルを出したのに披露できなかった恨み辛みをセットリストにしたんですけど、今年はそういう気持ちで作らなくてよかったというのがまずあって。ライブって何だろう、俺たちはなぜステージに立っているんだろうとか、色々な気持ちを経ながら1年間音楽をやってきた中で、俺たちが楽しいと思ったことの集合体というか。計算みたいなものを今年はしなかったですね。唯一したと言えば、今までDIAURAでは佳衣ちゃんがライブで7弦ギターを弾くことはなかったんですけど、『R.I.P.』収録の「Gate of Labyrinth」で7弦に持ち替えたんですよ。今回は過去曲が多かったですけど、その中でも未来を提示するセクションがあるのも良いなと思って。だから、やりたいことをやったという感じが強いかもしれないです。

「deadly number」は当初の予定ではセットリストに入っていませんでしたが、どのタイミングで入れることにしたんですか?

yo-ka:その前の曲「Mr.Isolation」が終わった瞬間ですね。耳打ちで、まずはドラムの準備があるので達也に、そして最初に弾き始めるのがギターなので佳衣ちゃん、最後に翔也に言って。

佳衣:この後もう1曲こういう感じ行きたくなるよねっていうのが段々とわかるようになったので、何の違和感もなく「だよね」くらいな感じでした(笑)。

達也さんがMCで「イレギュラーなこともあって」と話していたのは、このことですよね?

達也:そうですね。ワンマンツアーをやっている時は曲の追加や変更はよくあるんですけど、ツアーファイナルや「愚民の日」とか、節目のライブで追加するのは珍しいなという感じはしました。でも、「えっ、やっちゃうの!?」というわけではなく、「よし、行こう」とテンションがより上がる場面でしたね。

翔也:突如追加になるとかはもう慣れたもんですよ。コロナ禍になってからかな、そういうのが増えてきたと思うんですよね。ただ、ツアー中に1回だけ「あれ!? この曲何だっけ!?」と思った瞬間があって怖かったです(笑)。でも、いきなりバラードを突っ込んでくるわけじゃなく、テンション感は似ているので、気持ち的には問題なくついていけますね。

本編が1曲追加になったので、3~4曲予定とされていたアンコールは3曲になるかなと思いきや4曲でしたね。

yo-ka:結局メッセージですよね。思いに沿ったセットリストというか。例えば自分が言葉を発した後の曲は、その真意を固めてくれる曲が絶対に必要だと思っていたので、何だかんだ延びちゃいましたね。

結果、「MASTER」が最後ですごく良かったなと。

yo-ka:そうですね。去年やれなかったので。だからVifのレポートで書いてくれていたことは、まさにその通りだったので、すげーなと思いました。

緊張して手が震えるなんてそんなにないので、ビックリしました(達也)

コロナ禍以降、既に全国ツアーを三度完遂していて、今年4月には新曲も含めたベスト盤『INCOMPLETEⅡ』をリリースし、さらに今回、全曲新曲かつ14曲というフルボリュームのアルバム『R.I.P.』をリリースということで、もうとんでもないバンドだなと。

yo-ka:自分でもビックリしますね(笑)。

佳衣:曲を作っている時は、たまに「わぁ、どうしよう。曲数足りるかな…」とか考えることはありますけど(笑)、結局伝えたいことややりたいことがある以上、何とでもなるので、一つの壁を越えたらあっという間にできますね。

フルアルバムという形は『VERSUS』以来実に4年ぶり、ミニアルバム『DEFINITION』から考えても2年半以上経っているんですよね。

yo-ka:ずっとフルを出したかったんですよ。色々と環境が変わった後って、バンドや俺たち自身を整える期間でもあったと思うから、それを経て満を持して今だなと。それが偶然10周年だっただけだと思うんですけど、フルアルバムって「出せ」と言われて出すものじゃないと思うんですよ。例え言われても出さないし。出したいとなった時に出すのがフルアルバムだと思うから、良いタイミングだったんじゃないかなと。出すと決めて気合いが入ったものにしたかったので、10~11曲でお茶を濁したくなくて、やるなら14~16曲くらいの話になって、結果14曲になりました。

翔也:コロナ禍で無限に時間があったので、何か還元できることはないかなと考えるわけですよ。それで色々勉強し直しましたね。なので、俺的にはこのタイミングでフルアルバムが作れて良かったなと。多分この期間がなかったら、ここまでやれなかっただろうなと思います。

『R.I.P.』とは、また意味深なタイトルです。yo-kaさんがよく言っているように、常にこれが最後という気持ちで取り組むということと、10周年を迎えて最初のアルバムなのでリスタート的な意味合いがあるのかなと。

yo-ka:R.I.P.=安らかに眠れという死者を弔う言葉ですけど、誓いみたいなものだと思っていて。今回は“DIAURA10年”ということに的を絞っているのと同時に、俺と佳衣が出会って約13年なんですけど、一緒にやっていた前のバンドの曲も入っているんですよ。これまでは自分たちの中でタブー視していたんですけど、10年経って、コロナ禍で音楽やライブと向き合っていく中で、どの俺たちも俺たちなんだよなと。DIAURAと何も変わらない熱量で作ってきたものなのに、なぜ変に蓋をしているんだろうという思いに至ったんですよね。

なるほど。

yo-ka:それで、音源になっていなかった前バンドの「RED ROMANCE」の映像を偶然発掘したんです。すげー良い曲だなと思って、これをやろうと。死んだはずの過去との向き合いですよね。それと、お墓参りに行った時って新たな誓いを立てたりしませんか。「俺まだここから頑張るわ」とか。なので、個人的にはリスタートの意味合いが強いかなと思います。決してネガティブな死を表現するためのものではなくて、死の先みたいなものを描きたかったんですよね。だから、すごく強い決意でメッセージを散りばめていますね。

1曲目が「ZERO」でまさに。佳衣さんは曲作りをする上で10周年を経たDIAURAというものを意識した部分はありますか?

佳衣

佳衣:逆にあまり意識しなかったですね。そういうのって意識しなくても自然と出るので、知らず知らずのうちに曲に反映されていくものだと思うんですよね。これまでやってきて、今自分がカッコいいと思うもの、作りたいと思うものを本当に純粋に作っただけですね。

リード曲「乖離性イデオロギー」はDIAURAらしい曲で、佳衣さんが今言ったことにも通じますし、前回「自分ができることが増えていって、それが曲に反映されるだけであって、根本的な自分の感性、DIAURAってこういうものだよねというところはずっと変わっていない」と言っていたことが顕著に表れている曲じゃないかなと。

佳衣:この曲は『R.I.P.』の中で制作にかかった時間が一番短くて、数時間でできたんですよ。だから、それだけ自分の中にあるベーシックな部分、DIAURAとしてのオーソドックスなものはすごく出しやすいものだったと思いますね。

「愚民の日」で初披露しましたが、いかがでしたか?

佳衣:お客さんも初めて聴くので、曲をしっかり聴いてくれていたと思うんですよ。自分たちもまずは曲を聴かせてあげようという思いがあったので、とにかくこの曲の良さ、伝えたいものをちゃんと表現しようというのは考えていました。

達也:MVを流してから僕のタイミングで入ったんですけど、ちょっと手が震えていましたね(笑)。絶妙なタイミングで入りたくて、それが1秒でも早かったり遅かったりすると、空気感が違うものになってしまうなと。初披露ですしタイミングのこともあって、あの瞬間は緊張していましたね。けど、見せ付けてやるという思いもあったので、気持ちが高揚していて。緊張して手が震えるなんてそんなにないので、自分でもビックリしました。それほど大事な始まりの1曲目なんだという気持ちが強かったです。

スリリングかつ疾走感があって、ライブではノリやすいテンポ感だなと思ったのですが、改めて音源で聴くと結構速いなと。

達也:確かに愚民たちを見ていても、初めてなのに結構気持ち良さそうにノッてくれていたので、ノリやすい曲なんだろうなというのはわかりましたね。

翔也:新曲を発表する時って、こっちも高揚感があるというか、ちょっと浮き足立っちゃうんですよね(笑)。そこは反省点ではあったんですけど、第一印象で残っているのはお客さんの顔ですね。幕が開いて一発目がこれだったので。単純にすごく良い顔をしていて、何だか嬉しくなったのは覚えています。一日その感覚に引っ張られてライブをやっていた感じもありましたね。

yo-ka:どうしてもライブをやるまでは曲が一つの作品というところで止まっているんですけど、それが自分たちの手から離れて愚民たちの中に入っていく瞬間って、やっぱり堪らなくて。それがライブ初出しの魅力ではあると思うんですよね。完パケるまでの一連の流れの中で、曲としてはカッコいい曲だなという向き合い方だったんですけど、ライブでやった瞬間はすごく痺れて。ド頭の感じとか、これはカッコいいわ…と。俺も浮き足立つ感覚があって、イントロで前後の間隔がわからなくなって、癖で下がって、また前に行こうとしたら足が引っ掛かっちゃって(笑)。それくらいテンションが上がっていましたね。この曲はDIAURAの出すべき粗さであったり毒っけがすごくあるので、今後のDIAURAを占っているような曲だなと、やりながら感じていましたね。