自身との対峙を経て、新たなステージへと進むDIAURAが放つ最新作『dazzle-消えた弾丸-』。そこに収められた全3曲を紐解く
9月3日恒例の「愚民の日」公演を終えたDIAURAが、新たなシングル作品『dazzle-消えた弾丸-』を世に送り出す。2024年の活動の流れの中で改めて自身を見つめ直し、よりシンプルに“DIAURA”というバンドを示すことに行き着いた彼らの最新作は、らしさと新しさが共存するものとなった。今春以降の活動を振り返ると共に、楽曲としてのカラーは様々ながら一つの物語でもある「dazzle-消えた弾丸-」「絶対零度」「SICKS」の全3曲について話を聞いた。
自分たちの強みなんだなと改めて気づかされた(佳衣)
まずは4月24日〜6月16日に開催したΛrlequiΩとのツーマンツアー「THIS IS MY CULT.」について、前回のインタビュー時に「バンドって戦いながら育っていくところも大きいと思うので、それがもたらすものに期待したい」と話していましたが、実際やってみていかがでしたか?
yo-ka:DIAURAの根っこの部分がすごく明確になったツアーというか。バンドってもちろん一つの軸、幹があって、そこからいろんな枝葉を少しずつ伸ばしていきながら作られていくものだと思うんですけど、DIAURAって割りかしその辺のバンドよりは一本気なところで戦ってきているバンドではあるので、大きく見直す部分みたいなものは、そこまでないかなと思っていたんですよ。ツーマンツアーをやる前は。でも、ΛrlequiΩと一緒にライブをやっていくうちに、自分の中でDIAURAってもっとこうだよなとか、細かいことから結構大きな部分まで気づきが多かったですね。普通にワンマンツアーをやっていると絶対届かないところも見えたのがデカかったと思います。それが「愚民の日」まで繋がってきているところだと思うので、今後のDIAURAにとってもすごく大事なものがたくさんありましたね。
翔也:俺も結果的にはすごく良かったなと思っていて。ただ、自分って意外と弱いんだなと思ったんですよね。ΛrlequiΩに良いライブをされると、スゲー悔しくなるし、そこに変な感じでアプローチしようとすると、自分の型を崩すしっていう。「あれ? 俺こんなに弱いんだ?」って、意外とメンタルがやられる部分もあったんですよ。でも、単発でツーマンをやったとしても、なかなかそうは思えないだろうし、悔しいと思うことが年々少なくなってきたのも事実だったので、そういう感情を久しぶりに抱いたのは、自分としての収穫はあったのかなという感じはしますね。
翔也さんがそういう感情になるとは意外です。
翔也:俺も意外でした(笑)。
達也:とても刺激的なツアーだったなと思いますね。同じバンドを短期間であんな回数を見ることってないですし、やっぱり良いライブをするなと思いました。あと、ΛrlequiΩのサポートドラムの方がツアーの中で3人入れ替わっていたんですけど、畑が全く違うバンドから来た人は特にスタイルも音の出し方も自分とは全く違ったので、逆にドラマーとしての自分のスタイルを見つめ直す良いきっかけになりました。
ツーマンツアーでありながら、3人のドラマーを見られたというのは、なかなかレアな機会でしたね。
達也:そうですね。やっぱり人によって曲の雰囲気が変わるもんだなというのも体験できたので、それをいちドラマーとしてDIAURAに活かしたいなと思いました。
佳衣:ΛrlequiΩとは昔も結構対バンをやってきたんですけど、今こうしてツーマンをやることによって、もちろんΛrlequiΩもすごく進化しているなと感じましたし、スタイルも色々変わってきた部分があったと思うんです。それで思い返してみたら、DIAURAって昔からずっと変わらないなと。逆にそれが自分たちの強みなんだなと改めて気づかされたというか。なので、そういうところをもっと前面に出していきたいなと改めて感じましたね。例えばΛrlequiΩ側がこういうことをやったから、じゃあ俺らもっていうよりは、自分たちは自分たちの良さをもっと伸ばしていきたいなと。だから、そういう意味でも刺激は受けましたし、自分たち自身について改めて気づくこともあったツアーでしたね。
初日のSpotify O-WEST公演の時に、あれだけバチバチやり合うツーマンって久々に観たなと思って。
yo-ka:初日なんてなおさらですよね。もう全くもって混ざらない、混ざる気ないしっていう。
あの日はセッションもアンコールもなく、潔く終わりましたもんね。そして、9月3日にはZepp Shinjukuで「愚民の日2024」が行われました。その年々の「愚民の日」の特徴というのがあると思うのですが、改めて考えると今年は結構王道の形だったのかなと。
yo-ka:立ち返った感もあるし、それこそツーマンを経ての「愚民の日」という部分もあって。特に我々みたいなバンドって喋る言葉もすごく大切だとは思うんですけど、やっぱりバンドで音楽、ライブをやっているので、削ぎ落としたかったんですよね。このバンドの贅肉を削ぎ落としたいなというのは、ずっと思っていたことで。それを示していくには、まず「愚民の日」が絶対大切なものなので、DIAURAのライブはこれだけあればいいんだと、シンプルに必要最低限の形にしていって。その中で、LEDビジョンが全面にある会場の特性も使いながら、DIAURAがやりたいことの意味を増幅できればいいなと、そういう技術も使わせてもらいました。ただ、ライブを作る上で、セットリストを組む上で、流れを作る上で考えたのは、すごくシンプルにDIAURAというものを見せたいなと。無理にハッピーを感じ合う必要はないと思っていて。去年が結構お祭り的な要素が強くて、それはそれの良さもあるけど、今のDIAURAがやるべきなのはそれではないかなと、ツーマンとかを経て強く感じていたことを出しました。
翔也:やっぱりZeppっていう看板は身が引き締まりますね。今回の新宿は初めての会場ではあったんですけど、Zeppってスゲーなっていうのが第一の感想としてありました。「愚民の日」は年々、本当に実家に帰るみたいな感覚が強くなっていて。俺ら自身、あの日はライブ自体が1ヵ月ぶりとかだったので、お客さんの顔を見るのも久しぶりだったんですけど、見たらなんか安心するし、すごくリラックスして毎年やれているなと思うんです。うん、なんか落ち着きますよね。
達也:すごく良い緊張感も持っていましたし、ライブの結構前から、自分でセットリストのプレイリストを組んで、一人で演奏するシミュレーションをしていたんですけど、この曲の繋ぎ方は今までなかったなとか、自分にとってはセットリスト自体がすごく新鮮でしたね。あと、新曲や鉄板の曲も入っていて、すごくいいなと思っていて、実際ライブをやったら、もう近年で一番、体感的にすぐ終わっちゃいましたね。それはそれでちょっと寂しさもありつつ、興奮もしていたので、良いライブができた実感はとてもあります。
佳衣:「愚民の日」単体でというよりは、それこそツーマンツアーから、その後ファンクラブ限定のツアーもあったり、そういう流れの行き着く先みたいな感覚が強かったなと思っていて。そこに行くまでに愚民たちも自分たちも気持ちを奮い立たせて、DIAURAらしいライブができたんじゃないかなと思うと同時に、原点回帰みたいな気持ちも自分の中にはありました。今回のオープニングSEも、実は「World End」というDIAURAの初期のSEを2024年版にリアレンジしたものなんです。メンバーにそのデータを送る時も、ファイルのタイトルを「World End 2024」にして送ったぐらい。だから、今また生まれ変わったものになったと思うんですけど、そういった意味でも本当に今のDIAURAをすごく表現できたんじゃないかなと思います。
大義に基づいて曲は進んでいく(yo-ka)
このたび新たなシングル『dazzle-消えた弾丸-』がリリースされます。6月末時点でレコーディングはもう終わっているとyo-kaさんが話していたので、相変わらずとてつもなく早いなと思って。ツーマンツアーと並行して制作していたということでしょうか?
yo-ka:レコーディングはツアーが終わってすぐでしたね。
今回、3曲を聴き進めていった時に、色々な王道が詰まっているなと感じて。先ほどの「愚民の日2024」に対する佳衣さんの言葉があったように、もしかしたらこのシングルも原点回帰が一つのテーマでもあるのかなと。
佳衣:どうなんでしょう。結局、作っている時がツーマンツアーのちょっと手前から真っ只中だったので、気持ち的にはやっぱりそういうモードみたいなものもあったとは思うんです。でも、そこからの続きというよりは「愚民の日」を経て、また次のステージみたいな気持ちだったので、新しさや、また違ったDIAURAというのを表現したつもりです。
今回、楽曲制作にあたって方向性の話し合いはしたのでしょうか?
yo-ka:去年がミニアルバム『ANTISM』(2023年4月発売)からシングル『COLD SLEEP』(2023年10月発売)という流れだったので、それと同じような流れ、同じテンション感で曲を作るのはやめようという話はしましたね。去年とは違った形で、ツーマンも経てのこれからのツアーになるので、やっぱりバンドのライブの攻撃性を大切にしたいっていうところは前提としてありました。それで出てきたのが「dazzle-消えた弾丸-」だったと。
表題曲はスムーズに決まったのでしょうか?
佳衣:そうですね。そんなに難航はせず。
yo-ka:一発だった気がしますね。ただ、その時、「HELLTOPIA」(「愚民の日2024」に向けて8月に配信リリースした曲)と「dazzle-消えた弾丸-」で、いわゆる表題が2個必要だったので、俺も佳衣も曲を持ち寄った中で、どれがどれだみたいなところはあったんですけど、俺は全く迷わなかったですね。「HELLTOPIA」は絶対に「愚民の日」で出すべき曲だっていうのは見えていたので、割とスッと決まりました。
リズム隊のお二人は、「dazzle-消えた弾丸-」のデモを最初に聴いた印象はいかがでしたか?
達也:イントロ2の部分のギターフレーズがすごく印象的だったのを覚えていますね。あそこの部分を聴いた瞬間に、テンションがめっちゃ上がっていました(笑)。この部分はきっと愚民たちも、ライブでめちゃくちゃテンションが上がるんだろうなって思いながら聴いていましたね。
翔也:表題曲でツアーの印象ってガラッと変わったりもするので、これが表題に来たら、わかりやすくスゲー汗をかけるライブができるんじゃないかなと思いました。やっぱり熱くてナンボだろうと思っている節もあるので、冬のツアーがすごく楽しみだなと思いましたね。
ところで、サビの〈掌の正義はやがてその闇を照らすから〉は、〈正義〉と書いて〈悪意〉と歌っていますよね?
yo-ka:そうですね。歌詞カードと歌っていることは違います。だけど、同じようなものかなっていうところで、わざとですね。「dazzle-消えた弾丸-」と「絶対零度」って地続きなんですよ。だから、今回のツアータイトル「The Holy Deringer」も含めて、いろんなところで関連性を持たせながら作っていて。デモ段階の曲出しの時に、この2曲を繋げて聴いたんですけど、 これは一つの世界だな、一つの物語だなという印象だったんですよね。なので、自分の中に出てきたドラマをそのまま歌詞に書いただけなんです。一つキーワードとしてツアータイトルに入っているデリンジャーというのが、昔の暗殺用の小型銃なんですけど、そういったところで「dazzle-消えた弾丸-」の持っている攻撃性とか、瞬間の衝動だったり、そこに至るまでもジッと堪えているような感情が見えたりして、主人公の一生じゃないですけど、その人の生きた証みたいなものを2曲に込めたいなと思って書きました。
なるほど。
yo-ka:特に佳衣の作る曲は自分の中で絵が浮かぶ、ドラマが見えてくるので、それがDIAURAの曲の良さでもあるし、その見えたものをすごく大切にしたいなと思っていて。それが今回は1曲じゃなくて2曲にわたる形になりました。で、「SICKS」はそこの隙間に入ってくるような、いろんな感情をグチャッと出せればいいなというところで作ったので、軸はリード1曲じゃなくて「dazzle-消えた弾丸-」と「絶対零度」というのが、この作品のほぼ全てですね。
では、この2曲にある〈彼〉というのは…。
yo-ka:対象物ですね。「dazzle-消えた弾丸-」で打ち抜いたものです。それが繋がって「絶対零度」に描かれたという。
「dazzle-消えた弾丸-」には、自分の正義を貫いて生きていくことというメッセージもあるのかなと。
yo-ka:そうですね。モチーフというか大きなテーマとして、暗殺があったんですよね。そこにまつわるものとして、ツアータイトルのデリンジャーが出てくるんですけど。暗殺って、日本でもちょっと前にあったじゃないですか。もちろん断じて許されないことですけど、ただ、その犯行に及んだ人は、その人なりの正義があったわけじゃないですか。で、それによって暴かれていくものもあった。だから、どこにだって大義があるんだっていうことで。その大義に基づいて曲は進んでいくんですけど。ただ、それは決して許されることではないことも自覚しているというところから繋がって「絶対零度」の歌詞になってくるので、その人の心の機微、そしてその先というか、そういったことを考えていった感じですね。だから正義であり、悪であり、光と闇ですよね。
今の話を聞くと、〈正義〉を〈悪意〉と歌っているのが、より腑に落ちます。
yo-ka:断定できないっていうところが言いたかったですね。
yo-kaさんからこういう歌詞が上がってきて、佳衣さんは作曲者としてどんな感想を持ちましたか?
佳衣:銃のイメージを全体的なモチーフとして持ってきた時に、なるほどなと。新しい感じがあるなと思いました。それを自分なりに解釈して、「dazzle-消えた弾丸-」のBメロの前に拳銃の弾倉をカチャッてやる音を入れたりというアレンジも加えましたね。ちなみにこの曲って、意外とメロディが2パターンぐらいしかないんですよ。実はBメロとサビが同じメロディで、Bメロの転調したものがサビなんです。そういう作りも含めて意外とシンプルだけど、ちょっと新しいアプローチっていう感じはしていますね。
そういえば8月に「次のシングル、面白い曲になってますよ」と言っていましたよね。
佳衣:まさにそれです(笑)。