七夕には限定ワンマンライブ、8月には5周年記念ワンマンライブを迎えるレイヴ。今回はリーダーとしてバンドを牽引する悠のパーソナルインタビューをお届けします。ワンマンツアー「不幸論」で全国を駆け抜け、ツアーファイナル「幸福論」でアルバム『不幸福論』を完結させたレイヴの現在、過去、そして未来へのヴィジョンを教えてもらいました。

◆好きなことはやればできちゃうタイプ

――初のパーソナルインタビューということで、まずは悠さんとはどんな人なのか、というところからお聞きしようと思います。

悠:俺、本当に自分がしたいことしかして来なかったんですよ。したくないことは本当にしなかったから、学生時代、勉強はできなかったです。テストの順位はケツから2番目とか3番目でしたから(笑)。

――得意な科目は体育とか?

悠:いや、体育は嫌いでしたね。得意なほうだとは思うんですけど、好きじゃなかったんです。本当に冷めていたというか、「動きたくねぇ…」という(笑)。俺の高校は特殊で、大学みたいに時間割を自分で組めたんですよ。だから、進学したい人はレベルが高い国語や数学をたくさん入れていたし、就職したい人は5教科が最低限入っていれば後は何でもよかった。そうすると就職するやつらはみんな体育ばっかり入れるんですよね(笑)。同じ高校だったレンもそうだったと思うな。でも俺は暑いし寒いしで体育が嫌だったから、パソコンの授業ばっかり入れてました。パソコン室って唯一冷暖房が効いているんですよ。だから特にパソコンを学ぶわけでもなく、そこでボーッとしてましたね。

――そこで学んでいたらnisaさんみたいにPCのプロフェッショナルになっていたかもしれませんよ。

悠:確かに(笑)。でも俺、好きなことはやればできちゃうタイプだと思うんです。例えばアルバム『不幸福論』のレコーディングで、レンもnisaも連日寝てないって言いながらそれはそれはキツそうにしていたんですけど、やっている作業量は俺と変わらないし、むしろ俺の方が書いている曲は多かったんです。でも俺は毎日8時間寝る規則正しい生活をしていましたからね。

――要領の良さが如実に表れていますね。そんな悠さんが音楽を始めようと思ったのはいつだったんですか?

悠:高校1年の冬ですね。L’Arc~en~Cielが好きで楽器をやってみたいなと思っていたら、レンや周りの友達と「5人でバンドを組んで文化祭に出ようぜ」という話になって。当時、レンはギターでしたね。

――悠さんはそこからベーシストとしての一歩を踏み出したんですね。

悠:そうです。ただ、どうしてもベースがやりたくて始めたというわけではなかったんです。パートを決める時に「ベースをやります」ってやつがいなかったから、「じゃあ俺、ベースでいいや」っていう…(笑)。ベーシストの中にはこうやって始めた人が意外と多いんじゃないかなと思うんですよ。

――ベーシストの方は良い意味で一癖ある人が多い気がするんですが、そういう人だからこそベースを選ぶのかなと。

悠:確かに、ベースって一般的になかなか選ばれない楽器じゃないかと思うんです。パッと見、音の面で目立たないと思われがちじゃないですか。それでもあえて選ぶというのは、ちょっと変わった人ですよね。俺は自分のことを変わっているとは思わないですけど、周りのベーシストを見ていると「この人たち、変わってるな」と思います。あ、俺も周りからそう思われてるのかな…。

――(笑)。悠さんはラルクを聴いてバンドを始めたということでしたが、そのバンドではラルクのコピーをしたんですか?

悠:いや、青春パンクをやってました。みんな青春パンク好きでラルク好きは俺だけだったんです。でもそれが良かったんじゃないかと思うんですよ。ラルクの曲ってすごく難しいんですよね。ラルクに限らずあの年代のヴィジュアル系バンドの曲はどれも難しいんですけど、青春パンクバンドは複雑なことをあんまりしないからすんなりコピーすることができて。

――挫折せずに続けられたんですね。ベースも要領よく上達したんですか?

悠:いや…最初は全然弾けなかったんです(苦笑)。普通にピックで弾くことすらできなくて苦労していたら、ちょうどテレビにはなわさんが出ていたんですよ。あの人がベースを弾くのを見て「この人にできて俺にできないわけない!」と思ったのを鮮明に覚えています。そこで頑張ることができたから、はなわさんには感謝しかないですね(笑)。

◆文化祭に出られなかったからこそ卒業してもバンドを続けられた

――バンドは順調だったんですか?

悠:いや、結局俺らは文化祭に出られなかったんですよ。高1の文化祭でバンドをやっている先輩達を見て、「俺らも目立つことしたいな。モテたいな」と思ってバンドを始めて、2年生の文化祭に向けて頑張っていたんですけど、文化祭に出るにはオーディションを通過しないといけなかったんです。全学年のバンドが先生たちの前で演奏して2組だけ選出されるんですけど、そんなの卒業間近の3年生が選ばれるに決まってるじゃないですか。結果俺らは2年生では出られず、翌年出るためにさらに1年バンドを続けたんです。ところがその後、学校の規則が変わって、3年生でも進路が決まっていない人は出られないことになって。俺とレンは専門学校を受けていたんですけど、その合否の発表は文化祭より後…ということは、受かっていようが落ちていようが出られない。先生にブチギレたのを覚えてます(笑)。

――なんてタイミングの悪い…。

悠:ですよね(笑)。でも今考えると、文化祭に出られなかったからこそ卒業してもバンドを続けたんだと思うんです。出ていたらそこで終了だったのかもしれない。

――なるほど。ちなみに悠さんの初ライブはいつだったんですか?

悠:高校2年生の時ですね。高校の近くにスタジオがあって、そこのフリーライブに出たんです。文化祭には出られなかったんですけど、そこのライブには定期的に出ていました。

――そのバンドはいつまで続いたんですか?

悠:高校卒業までですね。そのタイミングで俺とレン以外は就職したから、卒業後に二人で次のバンドを組んだんです。そのバンドからはレンがヴォーカルでしたね。

――レンさんはどういう経緯でヴォーカルに?

悠:卒業の時に一緒にカラオケに行ったんです。その時レンに「ヴォーカルのほうがいいんじゃない?」って言ったら、まんざらでもなさそうに「えー、そうかな。実は俺もそう思ってて~」って(笑)。それに、俺はベースを始めた後にギターも始めたんですけど、卒業する段階でレンより俺の方がギターが上手くなっていたんですよね。それもあって「こいつ、ヴォーカルのほうがいいんじゃね?」と思って。

――(笑)。では、青春パンクからヴィジュアル系に転向したのは?

悠:卒業後に組んだバンドで長崎のライブハウスに出るようになったんですけど、最初は全然ヴィジュアル系ではなかったんです。でも、なぜかそのバンドが後々ヴィジュアル系になりました。その頃レンも俺の勧めでヴィジュアル系にハマり出していたし、一度ヴィジュアル系のバンドと対バンしたら、すごく面白そうだったのも影響していますね。

――レンさん以外のメンバーとはどうやって出会ったんですか?

悠:その時組んでいたバンドのドラムは女の子だったんですけど、その子が辞めて。新しいメンバーを福岡に出て探そうと思っていた時に凪と出会ったんです。元々凪とは福岡にライブをしに行った時にDRUM Be-1で対バンをしたことがあったんですけど、当時彼は15歳くらいで、すごく若かったから覚えていたんです。そこからどうにかして連絡をとって、最初は「サポートでいいんでやりませんか?」という詐欺師の手口で勧誘して(笑)。その後、ライブを観に来てもらって話したら音楽の趣味もわりと合いそうだったから、「よければ一緒にやろう」って誘ったんです。最初は案の定、「サポートで」って言われたんですけど、そこから「とりあえず入ってみて、ダメだったらダメで辞めてもらっていいんで!」と(笑)。結果一緒にやることになったんです。

――レイヴになったのはいつだったんでしょう?

悠:凪が加入してから俺らも福岡に引っ越して博多のバンドとしてやるようになったんですけど、その頃よく対バンしていたバンドに、みくるとレイヴの初代上手ギターになるやつがいたんです。その後、俺らのバンドはギターが辞めることになって、ちょうどみくるのバンドも解散することになった。それで合体してレイヴになったんです。

――ここでレンさん、みくるさん、凪さんが顔を揃えたわけですね。nisaさんは最初はローディーだったそうですが、どの段階で参加したんですか?

悠:nisaは元々後輩バンドのメンバーで、よく対バンしてたんです。あいつはWebとかデザインができるからよくお願いしてたんですよ。レイヴの最初のHPを作ってくれたのもあいつだし、CDのジャケットも手伝ってもらったりしました。そこからよくライブに顔を出してくれるようになったんですけど、レイヴの始動から数ヵ月後にnisaのバンドが解散して。「しばらくバンドもやらないし、ライブに行って勉強させてください」と言われて、ローディーになってもらったんです。

◆七星さんに「お前ら、アー写がマジでダサすぎる」って言われて

――色々な偶然が重なって良いタイミングで5人が出会ったんですね。その当時、レイヴをどういうバンドにしようというヴィジョンはあったんですか?

悠:それが特になくて。元々そういうところで勝負しようと思っていなかったし、「この5人だったら絶対に何をやっても売れるだろうな」って思ったんですよ。最初は本当にうまくいって、当時は九州のバンドはなかなかワンマンができなかったんですけど、始動して4ヵ月くらいでワンマンができたし、リリースもできたし。

――当時の九州の音楽シーンで順調に活躍し始めたんですね。ところで、九州出身のバンドといえば、先輩にR指定がいますね。

悠:俺らがヴィジュアル系になった頃、R指定は九州でブイブイ言わせていました。その後、俺らが福岡に行った時にはR指定は上京して東京で活躍していたので、対バンは1回だけでしたけどね。でもその後、俺らがレイヴを組んで色々うまくいくようになってきた時に、ベースの七星さんが福岡でライブを観てくれたんです。その時に、「お前ら、アー写がマジでダサすぎる」って言われて(笑)。

――いきなり(笑)。

悠:「メイクと衣装もダサすぎる。東京のカメラマンさんとメイクさんを紹介するから東京でアー写を撮れ!」って言われたんですよ。それで初めてバンドとして東京に行ったんです。俺たちの初めての東京はライブじゃなくて撮影でした。それまでメイクも髪も自分たちでやるのが当たり前だったから、初めてメイクさんにメイクをしてもらったときはカルチャーショックでしたね。本当に田舎者だなと思うんですけど、みんな出来上がった自分のメイクや写真を見て、「うわー東京のバンドみたいだ!」って言ってましたから(笑)。

――とてもピュアな感じがします(笑)。

悠:そうしたらその数日後に、あるレーベルの社長が俺らの撮ったばかりの写真を見たらしくて、「このバンド何ていうの? いいじゃん!」って言ってくれたんです。それでその人に全国ツアーに誘ってもらって、バンドが成長していくいいタイミングで全国デビューできたんです。もちろん福岡以外に俺らのお客さんがいるわけもなくて、あちこちでボコボコにやられて「これが全国か!」と思いながら帰ってきたんですけど、全然心は折れなかったですね(笑)。当時、本当にいろんなタイミングが良かったなと思います。

――七星さんの「アー写がダサい」の一言から全国に辿り着くというのはすごいですね。

悠:七星さんには今でも「ここがダメだ、これがダメだ」って言われますけどね。七星さんは長崎出身で、同郷ということもあってすごく可愛がってくれるんです。

◆目標はその都度更新していきたい。更新できなくなったらそれは辞め時

――まさに順風満帆ですね。

悠:ここまではすごくうまくいっていたんです。ところが、その直後に初代上手ギターが失踪するという事件が起きたんです。事の発端は彼が先輩にあたる人に粗相をしてしまったことなんですよ。当時の九州は縦社会が厳しかったこともあって、それがきっかけでいろんな人に圧をかけられて。だからメンバー全員で集まって「しっかり謝ってやっていくしかない」という話をして、その日は解散したんです。ところが次の朝起きたら、そいつがTwitterにもLINEにもいなくて、電話も繋がらない。慌てて、みくるとそいつの家まで行ったら引っ越した後だったんです。その後、本人がブログに「本日付で辞めます」って勝手に書いて、事実上脱退してしまって…。

――衝撃の失踪事件ですね。

悠:ですよね! しかもそいつはギターが上手かったから、抜けたら4人ではやれんぞ…と思い悩んで、ふと横を見たらうちにはギターが上手いローディーがいたんですよ(笑)。しかもパソコンも使える! 「メンバーにしちゃえばジャケットデザイン料とか払わなくていいかも!」と思ったりもしつつ、最初はサポートでやってもらったんです。その後、初のMVを撮るという話があって、できればそこから5人でやりたいということでnisaが正式加入しました。不幸中の幸いでレイヴは現メンバーになったんです。

――なかなか劇的な展開ですね。

悠:最初はnisa自身も大変だったと思いますよ。元々メタルっぽいバンドをやっていたのに、レイヴはポップで毛色が違う。演奏技術的には全く問題ないけど、レイヴであいつのそういうところを活かしきれるだろうか、とは思っていました。でも何とか乗り切って、その後、今の事務所に所属させてもらったんです。

――そんなレイヴが昨年、4周年を前に解散を考えたのはなぜだったんでしょう?

悠:福岡時代は挫折を味わうこともなく過ごしてきて、そのまま東京に出て全国区のバンドとして頑張っていこうと思っていたんです。でも上京してから本当にうまくいかなくて。それをO-WESTでのワンマン(2015年12月29日に行われた「ちかっぱ!シティーボーイ!!~俺たちイケとろーもん~」)をやった時にメンバー全員が食らったんだと思います。

――具体的には何が引き金になったんですか?

悠:その時、俺らは数字しか見えてなかったんですよ。それが思うように伸びなかったからメンバー内で「解散するか」という話になって、「いつ事務所に言う」「いつ終わる」というレベルのところまで話していたんです。その時に、「バンドが終わったら俺は完全に音楽を辞めようと思っている」ということをみんなに軽く伝えたら数日後に凪から「二人で飲みに行こう」って連絡が来て。それまで凪からそんなこと言われたことなかったからドキドキでしたよ(笑)。俺はてっきり、「レイヴが終わったら、一緒にまた俺とバンドやらない?」って話をされると思っていたんですけど、「音楽を辞めないでほしい」って言われたんです。だからレイヴを続けたほうがいいんじゃないかという話になって、結果「もう一回やりましょう」ということになりました。

――そこで声をかけてきたのが凪さんというのは意外でした。飄々としている印象なのに、実は熱い人なんですね。

悠:俺も本当にびっくりしました。

――「もう一度やりましょう」と決めてからは、もう解散は一切考えていないですか?

悠:考えてないといえば嘘になりますね。でもだからといって、のうのうとやろうとは思っていないです。やっぱりそこは危機感を感じつつやらないと結果は出せないと思うので。

――先日の「売れてぇー。売れてみてぇー。」というツイートが気になっていたのですが。

悠:あれね(笑)。横アリとか代々木第一体育館とかを満員に出来たら笑いが止まらないんじゃないかなってふと思ったんですよ。こういうことって、インディーズのバンドはみんな考えていると思うんですけど、俺は実際のところ「夢は武道館です」みたいな大きい目標があんまりなくて。目先の目標しか見ていないんです。今だったら「1000人入ったらいいな」だし、1000人入る頃には「2000人入ったらいいな」と思っていると思う。武道館をやる頃になったら「次は代々木第一体育館」と思ってるだろうし、その次は「東京ドーム」と思っているはず。目標はその都度更新していきたいんですよ。更新できなくなったら、それは辞め時だと思うんです。

――現実的ですね。

悠:あまり夢を見ないんです。あと、先輩方に比べたらまだまだ経験不足ですけど、この年になって少しずつ「自分はこういう人間なのかも」ということがわかるようになってきました。今までは理想と現実が入り混じっていたんですけど、今は現実的な目線で考えることが多くなったなと。特にここ1年くらいですね。昔は「こういうふうになりたい。だからこうする」ってただ純粋に理想に向かっていたんですけど、今は「こういうふうになりたい。でも俺はこうだからこうかな」って考えるようになりました。理想と現実の間というか、落としどころを見つけているのかなと。

――落としどころを見つけて楽になった部分はありますか?

悠:いや、むしろキツイかもしれないです。「これが現実か」と。もちろん理想を諦めているわけではないですけどね。

◆みんなが考えるレイヴの予想図をぶっ壊していきたい

――今までを振り返って大きなターニングポイントを挙げるとしたら?

悠:一つ目は、最初のギターがいなくなってnisaが入ってきた時。その次は事務所に所属したタイミングと上京した時。あとはみくるのことですね。みくるが休養することになったのは、去年5人で「もう一回やろうぜ」って話したすぐ後だったんですよ。だから何だか変な感覚なんです。

――「もう一回やろうぜ」という話をして自分たちはどんなふうに変わったと思いますか?

悠:お客さんとの距離感というか空間が、それまでと全く違ってすごく良くなりました。数字でしか見てなかったけどそれ以外が見えるようになったからなのか、俺らの「バンドを守らないと」という思いがお客さんに伝わったのかはわからないですけど、「いい感じ、いい感じ!」と思いながら『ナミダヒロイン』のレコーディングもしたんです。そうしたらみくるがああいうことになって。

――レコーディングはちょうど1年前ですよね。

悠:去年のあいつの誕生日(5月18日)でした。みくるのことは思い返してもやっぱり一番大きい出来事だと思うし、あいつがいなくなって寂しいし、また会いたいなと思う。俺はずっと前を見続けていられたわけではなかったから、その時レイヴを支えてくれたのは他のメンバーだと思っています。自分自身が乗り越えたなと思えたのは本当に最近なんですよ。

――バンドはもちろん、下手を一人で支えるようになってライブも大きく変化しましたね。

悠:サウンド面ではnisaが頑張ってくれて補えたと思うんですけど、今まで下手二人だったのが一人っていうのがなかなかの地獄で…。全く別物で職種が変わると思ってもらっていいです。俺も最初ナメてたんですけど、事務員が接客業になるくらい全然違うんですよ。これまでのステージングは、nisaとみくるが華やかなことをやって、俺は好きなようにしていたんです。それをそのままやればいいじゃん、っていう人もいると思うんですけど、そういうわけにはいかなくて。1月の4週連続ワンマン(※東高円寺二万電圧で行われた「新春!!刺激足りてる?8万電圧計画!1v~4v」)の頃までは本当に何も掴めないまま時間だけが過ぎていった感じでした。このワンマンで最終日に体操服を着ていましたけど、あれは何も掴めてないやつが体操服だけ着てやってたんです(笑)。

――なかなかシュールですね(笑)。掴めたのはいつ頃でした?

悠:この前のワンマンツアーからかな。やっぱりアルバムの存在は大きかったですね。今までの作品と違って、何も狙わずに単純に出てきたものを形にしたから。でも、ワンマンツアーも終わった今、俺にとっては“過去のもの”という認識です。もう消化しきっちゃったのでそんなところを見てないというか。もちろん、やればまだまだ進化はしていくと思いますけど、あれはあれ、という感じなんです。まだ詳しいことは言えないですけど、やっと4人で形になったこのタイミングで、バンドとして新たな挑戦をしようと思っているんです。だから今はもうそちらのモードですね。

――もしや、「7月7日から変わります」というツイートと関係があるんですか?

悠:どうでしょうねぇ(ニヤニヤ)。もしかするとヴィジュアルが変わるのかもしれませんよ。「みくるの意思は俺が受け継ぐ!」って言って俺が女形になるかもしれない。でも俺、女装したら結構ブスなんですよね。うちの社長に「石田はブスね」って散々言われましたから(笑)。

――意外ですね。女装も映える顔だと思うんですけど。

悠:俺もいけると思ってたんですけど、メイクされて徐々に「…あれ? ブスやな…」と(笑)。メイクさんも否定しなかったですからね(笑)。

――(笑)。初のワンマンツアーは振り返っていかがでしたか?

悠:色々なことが掴めたツアーだなと思ったし、4人のレイヴが完成されたなと思いました。だから次は、それを壊す作業から始めようと思って。俺はお客さんの期待をいい意味で裏切りたいんですよ。次の展開はワンマンツアーで完成されたものから、誰も想像していないところに行かないとダメだと思うから、みんなが考えるレイヴの予想図をぶっ壊していきたいです。

――壊しつつ前進していくレイヴの未来が楽しみです。ところで、悠さんは自分のことを「バンドマン」と呼びますよね。アーティストやミュージシャンではないのはなぜなんだろうと思っていたんです。

悠:そういえば、なんでだろう(笑)。俺が言うバンドマンはヴィジュアル系バンドマンなんですよね。化粧しないバンドマンはミュージシャンです。自分で「アーティスト」っていうのは恥ずかしいですよ。「このレベルで」っていう気持ちが大きいですけど。

――自らをアーティストと呼ぶには、達成すべきレベルがあるんですか?

悠:そうですね。有名人とか。自分のことをアーティストだと思ったらアーティストなんだと思います。俺は自分のことをアーティストだと思っていないし、ミュージシャンだとも思わない。でもバンドマンだとは思いますね。

――2年後くらいには「自分はアーティストっすから」って言っているかもしれないですね。

悠:あ~、そうなってるかもしれない(笑)。でも2年ってわりとすぐじゃないですか(笑)。そうなるまでにはこれまで以上にいろんなことがあると思うので、楽しみにしていてください。

(文・後藤るつ子)

ARTIST PROFILE

<プロフィール>

2012年8月18日、福岡県で結成されたバンド、レイヴのベーシストにしてリーダー。2012年12月にミニアルバム『フラチズム』をリリースし、精力的に活動を展開。2015年3月リリースのミニアルバム『ヨクバリーゼ』以降、『有頂天バブル』『サブカル』『人生つらみちゃん』『ナミダヒロイン』と4枚のシングルをリリースしている。2016年8月に4周年を迎え、バンド史上最大キャパとなる恵比寿LIQUIDROOMでのワンマンライブを開催。10月には「レイヴ5周年YEAR!!猪突猛進ノンストップGOGO!5大大大大大発表!!」と銘打ち、ニューシングル『UKIYO』のリリース、2017年3月に1stフルアルバム『不幸福論』がリリースされた。

■オフィシャルサイト
http://www.pscompany.co.jp/rave/

【ライブ情報】

●PS COMPANY PRESENTSレイヴ PS mobile会員限定 ONEMAN「7777」
7月7日(金)渋谷TAKE OFF 7
開場 18:00 / 開演 18:30(15:30~「帰ってきた自撮リーゼ 2017!」)
料金:スタンディング 前売 ¥3,000-(税込・1Drink代別)
※PS mobile会員限定
問い合わせ:PS COMPANY 03-5913-9008

<PS mobile受付>
■受付期間:5月6日(土)14:00~6月5日(月)18:00
■入金期間:6月9日(金)14:00~6月13日(火)23:59
■確定枚数:6月14日(水)
応募枚数:1人4枚まで
http://m.pscompany.co.jp/r/rave_ticket20170707/

●「帰ってきた自撮リーゼ 2017!」
7月7日(金)渋谷TAKE OFF 7
15:30 商品引換開始、16:00 撮影会スタート(18:30~ PS mobile会員限定ワンマン)
■内容:商品引換&2ショット自撮り撮影会
■メンバー衣装:VEGA JESUS T-SHIRT

受注限定販売「VEGA JESUS T-SHIRT」
http://www.pscompany.co.jp/rave/img/upload/rave_0707T_w600.jpg
FREE SIZE:¥4,000
▼購入URL http://psshop.jp/products/detail.php?product_id=486

◆注意事項◆
※5月6日(土)12:00~5月26日(金)23:59にPS COMPANY ONLINE SHOPにて「VEGA JESUS T-SHIRT」をご購入された方を対象としたイベントとなります。
※商品のご購入にはPS mobileの会員登録は必要ありませんが、PS COMPANY ONLINE SHOPへのご登録は必要となります。
※ご購入後のキャンセルはお受けできませんので、必ずご参加出来る方のみお申込みください。
※商品1つにつき1枚の撮影券をお渡し致します。
※撮影するメンバーは1回の撮影につき1人お選びいただけます。
※商品はイベント当日に受け渡しとなります。
※商品引換はスタッフが行います。
※撮影機器は自身でご持参ください。
※お友達とまとめてご購入された場合は、必ず一緒に商品に引換を行ってください。別々での引換は出来かねます。
※再入場不可となりますので予めご了承ください。

■当日の商品引換方法
●スマートフォンをご利用の場合
PS COMPANY ONLINE SHOPのマイページにある購入履歴一覧をご提示ください。
ご注文番号を確認させていただきます。
※バッテリー不足により購入履歴一覧の表示が困難な場合はご入場いただけませんので、十分に充電された状態で会場へお越しください。会場での充電はできませんのでご注意ください。

●PCをご利用の場合
ご注文受付メールをプリントアウトの上お越し下さい(ご注文が複数の場合は、それぞれのご注文受付メールをプリントアウトしてお持ちください)。ご注文番号を確認させていただきます。
※プリントアウトを忘れてしまった場合は引換ができない可能性もございますのでご注意ください。

■購入に関するお問い合わせ
https://psshop.jp//contact/
※お問い合わせ内容には必ず「バンド名・商品名・注文番号」など詳しく記載をお願いいたします。
※内容によっては回答をさしあげるのにお時間をいただくこともございます。また、土日、祝祭日、年末年始、夏季期間は翌営業日以降の対応となりますのでご了承ください。

●PS COMPANY PRESENTS レイヴ5周年記念ワンマンライブ『ありがとうございました。』
8月20日(日)六本木ニコファーレ
[1部] ファンミーティング&2ショット撮影会
開場 15:00 / 開演 15:30
料金:自由席 前売 ¥2,500- / 当日 ¥3,000-(Drink無)
[2部] ワンマンライブ
開場 18:30 / 開演 19:00
料金:スタンディング 前売 ¥4,000 / 当日 ¥4,500- (Drink無)
問い合わせ:PS COMPANY 03-5913-9008

<チケット発売>
●プレオーダー受付(Aチケット)
受付期間:6月23日(金)12:00~7月2日(日)23:59
入金期間:7月5日(水)13:00~7月9日(日)21:00
●一般発売(Bチケット)
7月15日(土)10:00~
プレオーダー/一般発売共通 http://eplus.jp/rave201708/