成長著しいnuriéがVif初登場! 弔いの花束と自らの音楽を掲げ、未来へとまっすぐ歩を進める彼らの思いとは――
2019年7月29日に始動し、剥き出しの言葉によるメッセージ性のある楽曲で着実にファンを掴んできたnurié。新型コロナウイルスの影響により、活動開始から数ヵ月でライブ活動ができなくなるという困難に見舞われたものの、2021年にはアルルカン主催イベント「束の世界」の公募枠に選出。シーンを代表する名だたるバンドが揃う中、観客を魅了してみせた。上昇気流に乗ったnuriéだったが、ゲリラワンマンライブに向かう際に事故に巻き込まれ、ベースの小鳥遊やひろが永眠。その動向が見守られている中、ついに復活ライブの開催が発表された。Vif初登場となるnuriéに、バンドの結成から今に至るまでの激動の歩みを聞いた。
どんなステージでも自分達の楽曲で色付けられる(大角龍太朗)
まずは、バンド結成の経緯から教えてください。
大角龍太朗(以下、大角):ずっとバンドを組みたいと思っていたんです。それでnuriéの前身バンドやソロプロジェクトでサポートメンバーを集めて、その中からいいなと思った人たちにどんどん声をかけて今に至ります。
nuriéは大角さんを中心に組まれたバンドということですが、お二人は声をかけられたときに、どういう印象を持ちましたか?
染谷悠太(以下、染谷):僕は、大角が以前やっていたバンドのサポートドラムをずっとやっていたんです。なので、7~8年くらいずっと一緒にいました。その頃からずっと「正規メンバーで入ってくれ」と言われていたんですが、断り続けていて(笑)。その後も他のバンドや大角のソロプロジェクトでサポートとしてドラムを叩いていたんですが、大角は諦めずに僕のことを誘い続けてくれて。何回も誘われ、何回も断るということを繰り返していたんです。そのうちに、大角がどんどん良いヴォーカルになっていっていることを実感して、今一緒にバンドをやったらすごく良いバンドになれそうだと思ったのでOKしました。
廣瀬彩人(以下、廣瀬):僕は元々メンバーと面識はなかったんです。ある時、悠太君が参加していた大角のソロプロジェクトの曲で、今はnuriéの楽曲にもなっている「生き継ぎ」(2019年10月リリースの会場限定シングル)をSNS上で発見して、これはカッコイイなと思いました。その頃、ちょうど僕がやっていたバンドが解散することになって、新しいバンドをやりたいけど誰かいないかなと思ったときに、この曲を思い出したんです。それで、サポートをさせてもらえないだろうかと思って連絡をしたのがきっかけですね。今思うと、会ったこともない人からいきなり、「ギター弾かせてもらえませんか?」と言われて、メンバーは困っていたんじゃないかなと思います(笑)。nuriéに加入したのは、僕が最後なんですけど、メンバーになろうと思った決め手は、大角君の言葉とメッセージ性ですね。ヴィジュアル系シーンには珍しいタイプのメッセージ性があって、そういう部分に僕自身がすごく魅かれました。
nuriéというバンド名の由来は?
大角:「塗り絵」からきています。塗り絵って、枠組みがある中でそこに色を足していく、子供の遊びみたいな感じじゃないですか。まず子供のように遊ぶ感覚で音楽をやっていきたいと思ったんです。そしてもう一つ、塗り絵は枠があっても枠からはみ出して色を塗ることも可能で、自分達の好きなように色が足せる。どんなステージでも自分達の楽曲でこの空間を色付けられるという意味を込めて、nuriéというバンド名をつけたんです。
それぞれの音楽ルーツを教えてください。
大角:僕は、UVERworldやamazarashiに影響を受けました。
廣瀬:僕は中学のときに吹奏楽部だったんですけど、そこで先輩がギターを弾いている姿を見てギターを始めました。始めはエアロスミスをはじめとするメジャーな洋楽を聴いていて、それからGLAYを聴き出すようになったんです。その後、高校でDIR EN GREYを知って、そこから一気にヴィジュアル系の世界に興味を持ちました。
染谷:僕はTOKIOを見てドラムに興味を持ちました。当時、僕は小学生だったんですけど、流行っていたTOKIOの「宙船」で「バンドってカッコいいな!」と思ったんです。それから、なんとなくドラムをやりたいという気持ちを持ったまま中学時代を過ごして、高校生になってやり始めました。ドラムを叩くようになってからヴィジュアル系に興味を持つようになって、the GazettEやlynch.といったバンドに影響を受けていますね。
2019年にバンドを結成したnuriéですが、2020年には新型コロナウイルスによるパンデミックが起こりました。バンドを結成して半年で降りかかったこのような世界の変化は、nuriéにどんな影響を与えましたか?
廣瀬:正直なところ大変でした。当時は、東名阪で主催イベントをして、5月にワンマンライブをして、そこで3rdシングルを発売…といった計画を立てていたんですけど、それが全部流れてしまって。でもライブができない期間に、曲作りやアレンジの面で、今のままではダメだと気づかされたことがたくさんありました。だから、この期間も全く無駄ではなかったなと思いますね。
大角:音楽シーンの変化に気づけたかなと思います。それまでは、有観客ライブこそが自分達の中で1番のコンテンツだと思っていたんですけど、もっと視野を広げれば音楽を届ける方法は色々あることがわかりました。ライブだけが全てじゃないんだという、ポジティブな発見がありましたね。
観てくれる人の心を絶対に掴める自信があった(廣瀬彩人)
2021年8月のバンド結成2周年ワンマンライブを経て、11月にはアルルカンPresents「束の世界」の公募枠で、Zepp Hanedaというバンド史上最も大きなステージに立ちました。わずか10分2曲という短い持ち時間にも関わらず、nuriéは一気に注目を集めましたが、この大きなチャンスをどう受け止めましたか?
大角:出演が決まった瞬間、すごく嬉しかったです。ただ誤解を恐れずに言えば、自分たちは音楽を始めるときから、日本武道館やもっと大きなところを目標にしているので、「ここに立つべきなのは、俺たちで当然や」という感覚はありました。当日ステージに立ったときには、「見たことがない数の人がいる…!」とは思いましたけどね(笑)。でもメンバー全員が変に気負うことなく、緊張したり焦ったりせずに堂々と演奏できたと思います。
あの日はリハーサル無しの一発本番だったそうですね。
染谷:そうなんです。でも幕が開く前にご厚意で「ワンコーラスだけリハしていいよ」と言ってもらえたんですよ。それで音を出す感覚が何となく掴めました。あれがあったことでかなり違ったんじゃないかな。Zepp Hanedaは、それまでの会場とは音の飛び方が全く違って、独特の気持ちよさがありましたし、楽しかったです。そして、演奏が終わってイヤホンを外したときに、拍手が上から降ってきている感覚があって。そのときに、「あぁ、デカいところに立てたらこんな気持ちを味わえるんや」ということが実感できました。
廣瀬:あの日のライブは本当に楽しかったです。選ばれたときは、大角君が言っていたように「俺らやろ!」という気持ちがありました。出してさえもらえたら、観てくれる人の心を絶対に掴める自信があった。それで当日、実際の反応を見て「ほらね!」と。
全員:(笑)。
nuriéのライブ終了直後から、SNS上でも「nuriéすごい!」「nuriéのワンマンライブに行ってみたい!」という大きな反響がありましたね。
廣瀬:それこそ「ほらね!」でしたよ(笑)。
大角:すごくチヤホヤしてもらえているなぁと思いました(笑)。
染谷:自分たちがやってきたことがちゃんと認められた気がして、すごく嬉しかったですね。
この勢いを止めたくないということで、12月8日に急遽、東高円寺二万電圧でのワンマンライブ開催を決め、チケットは即ソールドアウトしました。しかし、このライブに向かう途中で事故に巻き込まれ、ベースの小鳥遊やひろさんが永眠。このニュースをきっかけに、nuriéというバンドを知った人も多いかと思います。
大角:そうですね。ヴィジュアル系界隈だけではなく、一般の知り合いからも「ニュースで見たよ」と言われるぐらいの大きなニュースになりました。それでも、このニュースをきっかけにnuriéに出会ってくれて、「出会い方はこんな形でしたけど、nuriéの音楽を聴いています」と言ってくれる方がたくさんいるんです。今ではあのニュースでバンドを知ってくれた方が、半数以上になっているんじゃないかな。こういう形でnuriéが広まるのは正直悔しいという思いもあるんですが、それを自分達の力に変えて、ここから進んでいかないといけないと思っているし、あの事故がきっかけで知ってくれた人にも「やっぱりnuriéは間違いなくいいやん!」と思ってもらえる音楽を届けていきたいです。
今年1月、3rdシングル『Room-6-』がリリースされました。事故の後、バンドとしての歩みを止めずにいこうと思った理由を教えてください。
大角:自分の中では、やひろさんの存在が1番大きいですね。僕は、やひろさんを含めた4人でnuriéだと思っているんです。やひろさんは最期にnuriéをこんなに広めたんや。だったら、そのnuriéをマジでデカいところまで、やひろさん含めて連れて行くしかないと思っていて。自分達がこのバンドを終わらせたくないからというエゴよりも、やひろさんと一緒に作り上げてきたものを終わらせたくないという気持ちの方が大きいんです。そしてここから先は、このことに捉われてばかりでもいけないと思うので、自分達がnuriéというバンドを証明するために音楽をやっていくという決意があります。だからこそ5月にはライブも再開して、活動を続けていくんです。
ベースの小鳥遊やひろさんと共にnuriéが作り上げた3rdシングル『RooM-6-』。タイトル曲の「RooM-6-」はいつ頃制作されたのでしょうか?
廣瀬:去年の6月頃から僕がぼちぼち作り出しました。nuriéの曲作りの工程としては、まず僕が曲の雰囲気が大体わかる程度のデモを制作して、大角君に投げます。大角君がそこにメロディーと歌詞を入れて僕に戻してくれるので、そこから続きを考えていくんです。完成したのは9月頃でしたね。
これまでのnuriéの楽曲には無かったテイストのナンバーになりましたが、出来上がった曲を最初に聴いたとき、どんな印象を持ちましたか?
大角:ヤベーのが来た!と思いましたね(笑)。
全員:(笑)
大角:「RooM-6-」を作成する前に、「こういう色味の曲を作りたい」という話はしていたんですよ。抽象的な会話ではあるんですけど、これで僕らはわかり合えるので。例えば「青色の曲を作って」と言ったら「晴天に吠える。」(2020年9月リリースの配信シングル)みたいな曲ができてくるんです。「RooM-6-」も「紫とか赤とか青みたいな、ちょっとダークな雰囲気の曲が欲しいな。こういうテーマで書きたい」という話をして、どんな曲がくるのかワクワクしていたら、考えていたよりも数十倍すごいのが来たので「ヤベーのが来た!」と思ったんですよ。
色で曲のイメージを伝えるというのが、いかにもnuriéらしい楽曲制作の工程です。大角さんからの「紫、赤、青」というイメージで生まれた楽曲だったからこそ、MVでもその色が反映されているということですよね。
大角:MVの監督は僕がやらせてもらいました。僕の頭の中にあった、あの色味、世界観は絶対に映像として具現化させたかったんです。「RooM-6-」は、映像も音源も申し分のないクオリティのものができました。
MVの中で、メンバー全員が箸を握った両手でテーブルをトントンと叩くシーンが印象的でした。
大角:あのシーンはいろんな方に気に入ってもらっていますね。
染谷:撮影では何回もやったよな(笑)。
大角:メンバーと無表情で向き合ってやっていると、だんだん笑えてきて(笑)。
染谷:目を見たら笑うから、見ないようにしようとしていましたね(笑)。
レコーディングや、プレイでこだわったところは?
染谷:「RooM-6-」は情報量が多い曲なので、手数音数を増やしたり減らしたりと、メリハリを意識しました。イントロの最初のスネアのフレーズは音を詰めて叩く、サビはちゃんとメロディーを聴かせるようにシンプルにするということを意識しています。
廣瀬:レコーディングは、ギターとベースは僕の家で録って、そのデータをエンジニアさんに送って音作りをしていきました。特にギターに関しては、自分の家で全部完結するので、バンドのレコーディングに参加している感じがあんまりないんですよね(笑)。ギタープレイに関しては、僕は基本的にシンプルさを心がけています。ギタリスト特有のこだわりみたいなものはあまり持たず、複雑なフレーズよりも、コードをしっかり鳴らしたり、コード感が伝わるようにしたりするようにして、歌と歌詞の世界観を崩さないギターを心がけていますね。だから、自分がすごくこだわったフレーズでも、曲に対して邪魔だと思ったら消します。まず曲と大角君の言葉があってのnuriéなので。
廣瀬さんは、nuriéの全楽曲のアレンジを手がけていますが、制作する上で最も大事にしていることは?
廣瀬:1番念頭に置いているのは、自分の感性で大角龍太朗を最大限に活かすということですね。言葉をストレートに伝えるアレンジ、言葉が鮮やかになるアレンジを心がけています。例えば2曲目の「カンセツショウメイ」は大角君作曲で、同じコード進行でずっと曲が発展していくんですけど、1Aの歌詞を見ると時間帯が朝なんですよ。でもコード進行は夜っぽかった。なのでAメロだけコード進行をガラッと変えて、朝のような爽やかさに聴こえるようにしました。
印象が大きく変わりますね。
廣瀬:そうですね。それから、曲の分数はすごく気にして作っています。nuriéの曲は大体3分半から長くても4分くらいなんですけど、今は音楽がすごく簡単に手に入るじゃないですか。そういう時代に、知らないアーティストの5分の曲は長く感じてしまうと思うんです。日本のヒットチャートを見ていても、3分半で収めている曲が多い。特に洋楽ではそういう傾向があって、3分を切っている曲もあるんです。自分たちにとって今一番大切なのは、nuriéを知らない人に曲を届けるということだと思うので、nuriéを知らない人がパッと聴いても、最初から最後までちゃんと聴き切れるサイズ感にしておくということを大事にしていますね。