美景

美景の視点から紐解く、ソロプロジェクトの枠を超えたRuiza BANDの軌跡。そこに見る理想的な関係性

2025年に始動したRuiza BAND(無期限活動休止中のDのギタリスト・Ruizaによるソロプロジェクト)のレギュラーメンバーを務めるドラマー・美景が、Vifに初登場。ドラムを始めたきっかけやストイックな姿勢の背景といったパーソナルな側面に迫るとともに、数十年来の仲であるRuizaとの出会い、現在に至るまでのRuiza BANDの歩みを辿ると、ソロプロジェクトでありながら一枚岩として突き進む、理想的な関係性が浮かび上がってきた。


絵に描いたような理想のヴィジュアル系アーティスト

Vif初登場ということで、まずはドラムを始めたきっかけを伺いたいなと。

美景:僕が少年の頃はテレビにいろんなバンドさんが出ていて、もう割と自然に学校でバンドを組もうみたいな流れになっていって。僕は元々、近所の楽器屋さんでドラムを習っていたんです。それで、ドラムだったらすぐできるかなっていう感じで、バンドに参加し始めました。

そもそもなぜドラムを習い始めたのでしょうか?

美景:僕は佐賀県の出身なんですけど、学校に楽器を卸しているみたいな昔ながらの楽器屋さんがあって、そこの人が東京の専門学校でドラムを学んでこられた、地域の中で一目置かれる存在だったんですね。それで、自分もやってみたいなという、もう単純な興味から。結構田舎だったので、いきなりドラムセットを買って、農業機械とかを置いているでっかい倉庫の中で、ひたすら叩くということを繰り返していました(笑)。

なるほど。叩いても大丈夫な環境だったんですね。

美景:そうですね。いろんな農業機械の騒音とかが鳴っているのが日常なので、ドラムも全然大丈夫でした(笑)。

影響を受けたアーティストはいますか?

美景:僕が子供の頃にBUCK-TICKがテレビに出ていて。それは大きいですね。あとはLUNA SEAとか。『ROSIER』がリリースされた当時、僕は思春期真っ只中だったんですよ。思春期にあんなカッコいいものを見せられたら、絶対ハマるじゃないですか。だからやっぱり時期が良かったですよね。深夜のNHKにいきなりBUCK-TICKが出てきて1曲演奏していたり。そういうのに唐突に影響を受けるみたいな。

V系アーティストあるあるですね。

美景:あと、個人的にはエルヴィス・プレスリーにめっちゃ影響を受けました。母親が大好きだったんですよ(笑)。それでずっとエルヴィスの曲を聴いていて。でっかいレコードプレイヤーやフォークギターも家にあって、ドラムをやる前はなんとなくそのギターを弾いていました。

それは意外です。では、本格的にドラマーとしてやっていこうと思ったのは、いつ頃なんでしょう?

美景:大学進学で関西に行ったんですけど、メンバー募集で出会った人たちと一緒にバンドをやりたいとなった時に、当時ヴィジュアル系ですごく勢いがあった、Matinaというレーベルが大阪にあったんですよね。そこに所属していたバンドのDistrayが、現場を手伝う人を探していると友だちづてに聞いて、僕も行ってみようかなと思ったのがきっかけです。

そこでRuizaさんと出会ったわけですね。

美景:そうですね。早かった。でも、その時はまだRuizaさんの加入前で。ベースのトッシーさん(Toshiyuki)からローディーを探していると言われて、現場にお邪魔しました。ただ、初めてDistrayの現場に入った時から、「今のギターが脱退して、Ruizaっていう奴が入るから」と聞いていたんですよ。それで、どんな人なんだろうと思っていたら、めっちゃカッコよくてビックリしました。

それがRuizaさんの最初の印象だったんですね。

美景:とにかく顔がカッコいいなっていうのが第一印象で。当時は髪の毛が腰ぐらいの長さあって、佇まいも完璧なヴィジュアル系で、本当にこんな人がいるんだっていうぐらい、絵に描いたような理想のヴィジュアル系アーティストという印象でした。僕、Ruizaさんの1歳下なんですよ。だから、お兄ちゃんみたいな存在で。当時から優しかったですし、めっちゃカッコよかったんですよね。いやー、あの出会った当時のRuizaさんを、本当に皆に見せてあげたいくらいです。懐かしい。当時はボロボロの機材車で、車のドアノブが壊れていて開かなかったんですよ。それでRuizaさんが「今日はありがとう! お疲れ!」って言って、ハイエースの窓からヒュッて飛び出すという(笑)。

すごい(笑)。そんな身軽に(笑)。

美景:その時代って今とは違って、ヴィジュアル系もなかなか過激な世界だったんですけど、Distrayのメンバーさんは、帰りに「これ、交通費やから」って、1000円くれたんですよね。当時まだ売れてないのに、ローディーに気を使ってくれるなんて、この人に一生ついていこうって思いました。

自分の中で全てのパズルのピースが合わさった

2006年からギターインストゥルメンタルを中心に活動していたRuiza solo worksが、2022年から事務所の所属ではなく、Ruizaさん個人で動かしていくことになり、そのタイミングで美景さんと一緒にライブをするようになったんですよね。あの頃はまだコロナ禍でもあり、二人編成でのライブをしていましたが、その形はなかなかハードルが高くなかったですか?

美景:ベースがいないと聞いた時は最初ビックリしましたけど、二人でやるということに関しては、スタジオに入っていくうちに「あ、こういう形があるんだ」って、新しい発見も含めて手応えみたいなものを掴んでいったんですよね。二人編成なので、出演する場所もライブハウスに限らず、ライブバーみたいなところでやったり。Ruizaさんのギターの良いところを素直に届けるというコンセプトがわかりやすくて、自分の中ではとてもやりやすかったですね。他にメンバーを入れるよりもスッキリしていて。お互いがお互いの音に集中すれば完成するというのは、余計なものがそぎ落とされた状態で、これも一つの美しい形なんだなと思いました。

ちなみに、2022年のRuizaさんと美景さんによるYouTubeでのトークで、ドラムはカッコいいアーティストの音を間近で体感できる特等席と美景さんが話していて、確かにと思いました。

美景:そうですね(笑)。僕、Sethさんのインタビューも拝見したんですけど、ライブ写真でSethさんの後ろに僕がひっそり写っているのがやっぱり役得だなと思って(笑)。Sethさんのインタビューなのに、ありがたいなと思いました。

(笑)。そして2024年、Ruiza BANDへのお誘いがあった時、どのように感じましたか?

美景:Ruizaさんのファンの人も多分同じように感じていると思うんですけど、まず楽しそうだなと。それとRuizaさんって、こういうものをやりたいんだというのがハッキリしているので、自然とついていきやすいし、自分もそこに混ぜてほしいという気持ちになるんですよね。絶対楽しそう、絶対素晴らしいものが出来上がるだろうというのが見えていたので、そこに自分も参加したい、全部見届けたいみたいな気持ちがすごくあります。

お誘いの段階で、インストではなくヴォーカルを含めたバンド形態というお話だったと思いますが、そこに関しては想定内でしたか?

美景:Ruiza solo worksでのギタリストとしてのソロの時から、メロディがとても素晴らしいものがあるなと思っていたので、これが人の声という形で旋律になった時に、もっと素晴らしいものが生まれるのかもしれないという期待は自分の中でありました。それでSethさんにお願いしようと思うと聞いた時に、自分の中で全てのパズルのピースが合わさったみたいな感覚になって。それならすごいものになるんじゃないかなと思いましたね。

正式始動の前に、2024年7月のRuiza solo worksのワンマンの中で、現Ruiza BANDメンバーで初めてステージに立ったわけですが、その時はドキドキ感もありましたか?

美景:その時は今のRuiza BANDメンバーでの初ステージである以前に、Ruiza solo worksとしてのインストでの自分の役割にすごく集中していた感じで。もう本当にどんな感じの反応になるか読めないというドキドキ感はありました。自分はすごいと思っているんですけど、ファンの人にもこれが素晴らしいものだと受け入れてもらえるかどうかというドキドキは正直ありましたね。4人でのステージは、仕上がってきた曲を聴いた時点で、すごくカッコいい2曲だったので、これはライブを通して受け入れてもらえるんじゃないかなと感じました。

1月リリースのRuizaさんのミニアルバム『Alive』にRuiza BANDの皆さんが参加していますが、デモを最初に聴いた時はどんな印象を受けましたか?

美景:捨て曲がないなと思いましたし、全てがライブの中で綺麗に組み合わせられるなと感じました。逆にバリエーションがあり過ぎて、自分はこれをどうやって表現していこうか、ドラムのフレーズやニュアンスを考えることへの生みの苦しみみたいなものを久しぶりに味わいましたね。曲が良過ぎて、それに圧倒されてしまうみたいな。そこに自分の手を加えることは、とても緊張感のある作業でした。

そして2月、正式始動となる二部制の「Ruiza Birthday Live『Alive』」が行われましたが、今振り返ってみていかがでしたか?

美景:第一部のステージでかなり大きな手応えを掴んでしまって、逆に第二部はどうしようかなっていうのが正直なところでした(笑)。一部ですごく一体感を得たので、二部への集中力の持っていき方に苦労したんですけど、二部がさらにそれを超えてきて、もうむしろ次のライブへの期待感と、もっと準備しなきゃいけないなっていう自分の中での課題みたいなものも同時に出てきて。これからもっと進化していくんじゃないかという未来が見えましたね。

ちなみにあの日、美景さんがMCをした時に、メンバーの皆さんが「こんなキャラだったっけ?」と、ちょっと不思議な空気が流れた瞬間がありましたよね(笑)。

美景:ちょっと流れたかもしれない(笑)。割と自分としては喋るほうだと思うんですけど、普段は自然と溶け込んでいるので(笑)。まだあれから半年も経ってないというのが驚きです。

そうですよね。その後イベント出演も挟みつつ、4月から5月にかけて「Ruiza東名阪ONEMEN TOUR[Alive 〜fill in the「  」〜]」が開催されました。やっぱりツアーを回るというのは、バンドにとって大きな変化をもたらすものなんだろうなと。

美景:一緒に過ごす時間が長ければ長いほど、話すことも増えますし、同じ方向に向かってちょっとずつメンバーの意識が一つになっていくのを感じました。対バンしていく中で、他のバンドに負けたくないなっていう気持ちも持ちましたし。多分、他のメンバーもきっと同じことを思っていると思います。あと、自分たちはヴィジュアル系の中でこういったものを見せていきたいという、メンバーが同じ方向を向いていくのにとても良い経験だったと思います。