
進化を止めない声。歌い続けることを選んだ、30年の歩みの先――Sethが立つ、挑戦の現在地
ヴォーカリスト・Sethが、Vifインタビューに初登場。Moi dix Mois、Ruiza BAND、さくら前線、美良政次など、多岐にわたる活動を展開している彼に、今回は2025年に始動したばかりのRuiza BAND(無期限活動休止中のDのギタリスト・Ruizaによるソロプロジェクト)を中心としながら、様々な角度から話を聞いた。そこに見えてきたのは、ヴォーカリストとして30年以上のキャリアを重ねながらも、今なお高みを目指し、貪欲に歌と向き合い続けるSethの姿だった。
もっと歌と向き合ってみたい

Vif初登場ということで、よろしくお願いいたします。
Seth:ありがとうございます。よろしくお願いします。
2025年のSethさんは、近年で最も多忙なのではないでしょうか?
Seth:そうなんですよ、頭が破裂しそうなくらい(笑)。いつもボーッとしているもんで、自分のスケジュール帳を見た時にビックリしちゃうんですよ。
混乱しちゃうくらい詰まっていると。だから、先日も空港を間違えてしまったり(笑)。
Seth:そうです、あれも混乱ですね(笑)。大混乱です。
その出発の空港を間違えたところから始まった南米ツアーを、先日終えたばかりということで。KOUKIさん、Sethさん、SUIさんというヴォーカリスト3人での特殊な形でのツアーでしたが、率直な感想としていかがでしたか?
Seth:ものすごく反応が熱かったですね。なんとなく南米の人たちって熱量が高いイメージがあるじゃないですか。それがまさにそのままの感じでした。お客さんの声が、実際の人数の2倍3倍ぐらいの音圧があるんですよ。特に今回はヴォーカル3人で行ったので、生演奏の楽器がなくて、バックトラックのオケで歌う形だったというのもあって、それが聴こえないぐらいお客さんの熱量が高くて。
SNSに上がっている動画を見ましたが、本当にリアクションが大きくて。ずっと歓声が上がっているような状態でしたよね。
Seth:そうそう。ちょっと何かアクションをすると、すぐに反応があって、すごいですね。南米って、日本のヴィジュアル系を大好きな人たちがいても、すぐに行ける土地ではないじゃないですか。だから、ものすごく待ってくれていた感じがありましたね。
ちなみに海外のライブは、日本では考えられないようなアクシデントが起こるとよく聞きますが、今回は大丈夫でしたか?
Seth:空港以外のアクシデントはほぼなかったです(笑)。あ、でも一つ思い出しました。最終地がメキシコだったんですけど、ワイヤレスマイクが届いていなくて。というのも、電波法の違いとかもあるので、日本からはマイクを持っていかずに、各会場でワイヤレスマイクを用意してもらっていたんですね。ただ、最終会場だけマイクがなくて、「あ、今から頼む」みたいな感じで(笑)。なので、リハーサルはワイヤードでやっていて、もうその日は本番もワイヤードでやるつもりでした。今日はしょうがないよねって。でも、本番直前に届いて、間に合ったという。
ギリギリ(笑)。少し遡りますが、昨年11月にSethさん個人のオフィシャルサイトをオープンしましたよね。そのDIARYに、なぜ今Seth名義で…ということに関して、「歌に生きる為、歌に死する為、決意表明として」が大きな柱として書かれていました。ただ、冒頭に「自身が世に産み落とされ半世紀を過ぎた現在」と綴られていたように、50歳を迎えたことが一つの節目になったところも大きいですか?
Seth:そうですね。ただ、その少し前にも転機があったんですね。父との死別と、その半年後にMoi dix Moisのギタリストが亡くなって、立て続けに近しい人を亡くした時に、自分は音楽を続けるべきなのか、やめて母親の近くにいるべきなのかを考えたんです。それは大きな転機でしたね。周りの人たちの協力などもあって、音楽を続けるという答えを出しました。そういう決断にはなったんですけど、音楽、歌に対しての気持ちが、そこでガラリと変わったわけではなくて。今までの延長線上で続けてきたところを、今回の節目として、もっと歌と向き合ってみたいというか。そういう部分に差し掛かった気がします。
2022年にMoi dix Moisが20周年を迎え、2025年はSethさんの加入から20周年になります。20年という実感はありますか?
Seth:これがですね、Moi dix Moisが年に2回とか3回というライブペースの時があったので、時間の経過がなんと言うか…自分の中で、本当に1年過ごしたのかな?っていう感覚の年が何年かあるんですよ。空白の年みたいな感じの。なので、それを考えると、20年経った感覚にならないというか。言われてみて、確かにみたいな感じではあるんですけど。普通のバンドさんだと、月1本なり数本のライブがあって、それをコンスタントにやっていたりするじゃないですか。その中で自分たち自身の変化を感じながら、1年が経過しているんだと思うんですね。だけど、僕はその年月を感じるほどの変化が自分の中で感じられない年が何年かあったので、20年経ったという感覚がちょっとないかもしれないです。
なるほど。Sethさんは現在、Moi dix Mois、Ruiza BAND、さくら前線、美良政次などの活動を行っていますが、これだけ多岐にわたる活動だからこそ得るものというのもありますか?
Seth:まず、演歌を始めたのは、父ががんの闘病を始めた時に、父の好きだった曲を歌ってあげたいと思ったのがきっかけだったんですね。でも、他のジャンルに行ったことによって、そのジャンルの歌の難しさを知って、ロックのカテゴライズの中で歌っていた自分が、良くも悪くも、ぬるま湯に浸かっていたんだなと気づいたんです。自分で言うのも恥ずかしいですけど、歌が上手いと言ってもらえることがあるので、そこにあぐらをかいてしまっていたというか、ぬるま湯に浸かりすぎちゃっていたなと。演歌を始めたことによって、ぶん殴られたような感覚で衝撃を受けましたね。でも、その中で自分も通用するんだなという自信を持てたこともあります。
様々な経験をすることは、やはりメリットがあったわけですね。
Seth:そうですね。他のジャンルで歌うことによって、やはり自分の苦手なところがわかってくるので。そういう部分では、自分の中で一つ壁を越えて、歌に対して今までなかった実力がつけられるという部分はありますね。
一つの光がこの先にあることが示せればいいなと思ってステージに立った

SethさんとRuizaさんは、Ruizaさんが20歳頃からの付き合いとのことで、当時はSethさんがAMADEUS、RuizaさんがDistrayで活動していましたが、当時のRuizaさんはどんな印象でしたか?
Seth:Distrayで確かRuiza君とドラムの拓馬君が、歳がものすごく若かったと思うんですね。それで、AMADEUSも参加したカップリングツアーの中で、二人が悩んでいるような雰囲気が見え隠れしていて、気持ち的に多分ちょっとしんどい時期なんだろうなっていうのを思って。見た感じ、二人はピチピチだし、ルックスもよくて、やっぱりものすごく可愛い子たちだったので、お兄さん的にはちょっとリラックスさせてあげようかなと思って(笑)。だからツアー中、本当に毎回、隙を見ては話しかけに行っていたんですよ。
優しい…!
Seth:「どうだい?」って言って(笑)。なので多分、二人からしたら「なんだ? この急に話しかけて来るお兄さんは。このツアー中いつも話しかけて来るけど…」と思っていたと思いますよ(笑)。
いやいや、ありがたかったと思いますよ(笑)。そこから時を経て、「Japanese Visual Metal Tour」(2023年開催のMoi dix Mois、Versailles、D、摩天楼オペラによる共同ツアー)の時に密に話をしたそうで。
Seth:そうですね。もうとにかくメイクを早く終わらせて、皆と写真を撮るのが楽しかったんですよ(笑)。だから、早く会場入りをして、とっととメイクを済ませて、楽屋前の廊下で待っているんです(笑)。それで、Dチームや摩天楼オペラチームが出てくると、「こっちこっち」って。僕の自撮り棒が床につけて立てられるやつで、リモコンを手に持って、皆でポーズして集合写真を撮れるので、「集まれー」ってやっていました(笑)。VersaillesのTERUが、あっちのほうに歩いていたら、「おい、TERU!」って呼んで(笑)。Distrayの時からRuiza君のことは知っているし、ちょくちょく話もしていたんですけど、結構ワイワイし始めたのは、それが一番のきっかけかもしれないですね。
そのツアーの中で、Ruizaさんが勝手に抱いていたSethさんに対するイメージが取れたそうです。
Seth:それはどっちの意味ですかね(笑)。
「良い意味で」と。それをきっかけに、今まで以上に仲良くなったと話していました。
Seth:なんだろう…クールだと思っていたんですかね? でも、Distrayの頃に僕が話しかけている時は、ただの気のいいお兄さんだったはずなので、そこから「JVM」に至るまでの中間辺りで、急にクールな印象に塗り替えられたんですね(笑)。Moi dix Moisは暗黒の世界なんで。

バンドのカラーとSethさんのイメージがイコールになったのかもしれませんね。ところで、ライブのMCなどでも少し触れていましたが、改めて、Ruiza BANDのお誘いがあった時、どのように感じましたか?
Seth:D自体が、20年という長い期間活動されていたバンドじゃないですか。だから、応援してきたファンの子や、一緒にやっていたメンバーというのは、今までの人生を共に歩んできた存在だと思うんですよ。それを一旦止めて、新しいものに行くっていうのは、ものすごい苦渋の決断だったと思うんです。で、自分もそこまで長い期間はないにしても、やはりバンドを止めてきた経験があるので、どういう思いで活動を止めるかって考えたら、正直結構しんどいなっていう気持ちがあるのはわかるんですよね。でも、その時にRuiza君が、自分のことよりもファンの子たちの行き場、心のよりどころのことを最初に僕に話してくれたので、じゃあ、自分ができることの範囲内であれば、どうにかサポートができればいいなという話をしましたね。
Ruiza BANDとしての正式始動の前に、昨年7月のRuiza solo worksワンマン公演で、現Ruiza BANDのメンバーでオリジナル2曲を初披露したわけですが、今思い返してみて、あのステージはいかがでしたか?
Seth:僕はシークレットで出させていただいたんですけど、その時に思っていたのは、とにかく今回限定で来られているお客さんに対して、一つの光がこの先にあることが示せればいいなと思って。それを体現できるようにという思いでステージに立ったので、めちゃくちゃ緊張しました(笑)。Ruiza君がこの子たちに伝えたい思いを、センターで歌として伝えなきゃいけないと思ったので、彼と一緒にステージに立つことがどうっていうよりは、もうプレッシャーのほうが大きかったです。
10月にはRuiza主催イベント「BURNING SOUL vol.1」があり、現Ruiza BANDとは異なるメンバーかつカバー曲だったものの、再びRuizaさんとステージに立ちました。
Seth:あの時は、お祭りというか。ワンマンでのシークレット出演の時とはまた180度、思いが違う形で、楽しかったですね。なので、実際にRuiza君とステージに立って、横にいる感覚を冷静に見られたのは「BURNING SOUL vol.1」のほうかもしれないです。
そうなんですね。あのイベントは、今思い返しても選曲がレアでしたよね。ROUAGE、黒夢、hide with Spread Beaverという。特にSethさんの声とROUAGEの楽曲の相性がすごくよかったなと。
Seth:僕、ROUAGEはあの時に初めて歌ったんですよ。活動時期が一緒だったので、なかなかそういう同期くらいの人の曲を歌うことってないじゃないですか。若い人たちは、「ROUAGEよく聴いていました」って言いますけどね。