連載第2回にして千聖が尊敬して止まない“肉の神様”との夢の対談が実現。今回のお相手は、あの予約が取れない名店『肉山』の創業オーナーで、株式会社個人商店 代表取締役の光山英明氏。千聖の探究心と光山氏の人柄溢れる濃密かつ爆笑トークに、思いがけずロング対談となったため、前後編に分けてお届け。前編は、飲食店経験ゼロだった光山氏が脱サラし、1店舗目の『わ』をオープンさせるまでの秘話。グルメ誌には載っていない(!?)貴重なトークも満載です!
◆こんな美味しい肉があるのかと、めちゃくちゃ感動した(千聖)
千聖:光山さんと最初にお会いしたのが、確か約2年前ですよね。『肉山』は僕も知っていたんですけど、当時は予約の取れない店という知識しかなくて。偶然、僕の中学の同級生が光山さんと仲良くさせていただいているので、紹介してもらったのがきっかけなんですけど、「(光山さんは)すごく豪快な人だから」と言われていて(笑)。
光山英明(以下、光山):いやいや、繊細ですよ(笑)。
千聖:光山さんは最初に僕の話を聞いた時、どういうイメージでした?
光山:PENICILLINという名前は知っていたけど、正直、歌を聴くことがなかなかないので、顔とバンド名は一致しなかったですね。
千聖:「PENICILLINの千聖です」としか言わなかったので、ギターを弾いているかどうかも…
光山:そうそう、それもわかってなかった(笑)。
千聖:その後、改めて『肉山』に行かせてもらってCDをお渡ししたんですよね。その時に初めて光山さんが焼いた赤身肉を食べさせてもらって、こんな美味しい肉があるのかと、めちゃくちゃ感動したんです。
光山:今となっては今風なのかもわからんけど、当時の世の中的には、もうちょっと脂が入っている見た目がいい肉みたいなものが多かったからね。
千聖:メニューに、コースで5千円、+飲み放題で1万円と書いてあって、ものすごくわかりやすいなと思ったんですよね。
光山:「わかりやすい」と言ってくれるとすごく助かるけど、別の人から見たら「雑」みたいな。5千円で「キムチ、トマト、いろんな肉」って書いてあるんですよ(笑)。
千聖:(笑)
光山:元々、ホルモン屋『わ』が僕の創業の店で、牛肉のホルモンを塩で出したんですけど、東京の人に合わせて部位を細かくしたんです。東京は豚モツの文化なんですけど、僕は大阪出身で、大阪は牛モツの文化なので、牛バージョンで出したんですよね。プレートに1個ずつ出すというスタイルが、すごくウケたんです。
千聖:大概はいっぺんに出しちゃいますよね。
光山:本当はいっぺんに出したいし、俺だったら皿からバーッと全部出すんですけど、最初に店をやった時にお客さんが一個ずつ網に乗っけていて、めちゃビックリして。それが東京の食べ方だったんですよね。何時間かかんねん、と(笑)。
千聖:なるほど(笑)。
光山:俺は焼肉屋には1時間いないタイプなので、バーッと頼んで、肉を全部出し切った時に米とスープを持って来てくれっていう。で、食べ終わったら追加なし。東京でこの注文の仕方をすると、最初に米とスープが出てきたりして、それおかしいやろ! 普通最後やん!と。大阪と東京では、そういう食べ方の違いがあったんですよね。
千聖:ところで変な話ですけど、光山さんは元々、肉自体はお好きだったんですか?
光山:好きやで!
千聖:肉を食べることにすごく興味があったとか、色々あるじゃないですか。
光山:オタクではないですね。今ってそういうやつが多いでしょ? 「これ、どこの肉ですか?」とか、「あ、○○さんの、あの肉だ」みたいな。そんなん全然ないです。俺が大阪で行っていた店は、もう引退されたんですけど、メニューが壁に貼ってあって、バラ、上バラ、ホルモン、終わり(笑)。今考えてもそこより美味しいのは食べたことがない。ホルモンを頼むと、ミノもテッチャンも小腸も色々なやつが入っているわけ。それでええやんっていう。東京の人だったら「これ何ですか?」って聞くと思うんだけど、めっちゃ怒られたと思う(笑)。「ホルモンって書いてあるやろ!」って(笑)。
千聖:(笑)
光山:本当はそういうことをやりたいけど、自分がやる時は、まず店をやることに対してビビってたし、そういうことはできずに細かく出したんです。そしたらめちゃくちゃウケて。
千聖:確かに、ああいうパレット皿に綺麗に一個ずつという出し方は今までになかったですよね。
光山:でも、営業中の賄いは狭い店なので店内の空いてる席で食べるんですけど、こういう食べ方をしてほしいっていう食べ方を、わざとしていたんです。ビャーンッと乗っけて、ガーッと食べて、ご馳走様でした。「もう終わりですか?」みたいな。それをずーっとサンプルでやっていたんですけど、誰も真似してくれなかった(笑)。
千聖:(笑)
光山:業態を真似するやつはいっぱいおったけど、俺の食べ方を真似するやつは誰もいない(笑)。
千聖:確かに、2010年前後でそのスタイルが結構増えた気がします。
光山:『わ』が2002年11月にオープンして、2004年くらいにはギュンギュンギュンと。
千聖:光山さんは前はサラリーマンをしていたわけですけど、脱サラして自分から飲食業界に行こうとした理由を教えてください。
光山:ここのすぐ近くに中央大学の野球部のグラウンドと寮があるんですけど、そこのOBなんですよ。だから吉祥寺は慣れ親しんだ街で。平成元年に入学して、まだバブルが残っている時期だったから、今思うと世の中も景気がよかったよね。普通のチェーン店の居酒屋も入れないくらい。個人商店みたいなところに行くと、温かいサービスがあったりして、飲食店っていいな、いつか店をやりたいなという感じでした。
千聖:大学生の頃から既に思っていたんですね。
光山:卒業してサラリーマンをしに大阪に帰る時に、自分が行ってる店とかに「また10年後に店出しに帰ってきますわ」って根拠もなく言っていたらしいけど、たまたま帰ってきたのがピッタリ10年後やったんですよ。皆は「言ってた通りになったよ!」ってすごくビックリしてたけど、「え、何言うてました?」って(笑)。でも、大阪にいた時も、金を使って遊ぶなら東京で遊びたくて、ちょくちょく来てはいたんです。で、サラリーマンを10年やって、もういいかなと思って、とりあえず東京に行こうというところから始まりました。
千聖:とりあえず東京に、何かをしに行こうと?
光山:店を出すために、とにかく東京に根を張りに行こうと。でも、その時は満を持して東京に出てきたというよりは、サラリーマンもおもろないなという感じで、精神状態は46年間の今までの人生の中で一番よくなかった時だったと思うね。それも含めて、辞めることによってリセットしようということで、東京に来た気がする。で、どうしようかなと。
千聖:ホルモン屋をやるというのは、まだ考えてなかったんですね。
光山:ブラブラしていたら、毎日通っている道に急にテナント募集があって、これどないなってんやろと思って、隣の不動産屋さんに開けてもらって見たら、あの7坪の細長い場所で。経営もわからないから、7坪10万5千円というのが高いか安いかわからないわけよ。今は店が流行っているから皆「安い」って言うけど、その当時は駅から五日市街道を渡るっていうのが絶対有り得ない、10万5千円なんて高いって言うわけよ。そうか、高いんかぁと思って。今でもやるんですけど、物件を探す時は地図にマーカーで線を引いて、この中でしか探しませんって決め打ちするんですよ。その見つかった今の『わ』の場所は、線を引いた一番北の端でした。
千聖:ギリギリの場所だったんですね(笑)。
光山:当時で言うと、『肉山』の場所はラインに入ってなかったです。『わ』の場所は一応狙っている範囲内ということで、借りてみたいと不動産屋さんに言って「何するの?」って聞かれて、ホルモン焼き屋でもええかな…そんな感じだったんです。
千聖:まだハッキリしてなかったんですね。
光山:ホルモン焼きは大阪人は食べ慣れているんですよね。その時は原価率の計算もわからないという状態の中、まぁいっぺんやってみようと思って。あかんかったら最悪そこに住もうと。6万5千円のアパートに住んでいたので、店の家賃と合計約17万円をもし払われへんかったら、6万5千円をやめて店の床で寝るしかないと、ほんまにそんな感じでしたよ。で、不動産屋さんでダクトはどうするの?っていう話になって、「いや、やるとしたら塩ホルモンなので、そんなに煙は出ないと思います」って言ったら「いやいや、出るでしょ。いっぺんやってみてよ」って言われて、今後仕入れるかもしれないところからハラミとギアラを少し分けてもらって、不動産屋さんで一切れずつ塩を振って焼いたら、真っ白になった(笑)。
千聖:(爆笑)
光山:あれ!? こんな煙出るんやっけ!?と思って(笑)。そもそも、どうして煙が出るのかもわかってなくて。要は脂が落ちて、炭に当たって煙になるんですよね。大阪では家の屋上でいつも焼肉をしていたので、煙が出ていることに気付いてなかったんですよ(笑)。
千聖:空気中に流れていくから(笑)。
光山:で、ダクトってどうやって買うんやろと。年に1回出る「焼肉店」という雑誌がたまたま新聞広告に載っていて、2,800円くらいだったんですけど、お金がなくて買うか悩んだんですよ。立ち読みして覚えまくろうかと思って、サンロードの本屋さんに行ったんです(笑)。でも、これは覚えられへんわと思って、頑張って買ったんですよ。そしたら、今使っている食材以外の全てを、その1冊が教えてくれたんです。そのお陰で、走り回ったりせずに色々見つけられたんですよね。それが嬉しくて、会ったこともない編集長さんに、店のオープンが決まってから手紙を書いたんです。もちろん返事もなく。そしたら、年1回の雑誌なのに、翌年、俺の特集になったんです。
千聖:おーーーっ。すごいっすね。
光山:感動しました。今週もその取材があるんですけど、すごく嬉しくて。
千聖:教科書になってよかったですよね。
光山:迷わず買えよっていうね(笑)。
千聖:でもわかります。バンドなんか最初の頃は金がないし、当時はネットが普及してないから、どうやって情報を得るかというと本しかないんですよね。買うか相当悩みますよね。
◆一人でエアーで練習していた(光山英明)
千聖:光山さんは飲食店経験もなく、漠然とホルモン屋を始めたわけですけど、品数とかは何を基準に決めたんですか?
光山:何も考えてなかったですね。キムチ出して、お肉出して、ごはんがあったらいい、みたいな。スープもデザートもない。今だと、店をやりたいっていう子がいると、どこどこの店に研修に行ってとか言えるんですけど、俺が始める時は練習するところがないでしょ。店の工事が始まって毎日朝と夜の9時に行ってたんですけど、夜、シャッターを下ろして、カウンターの骨組みができてきている場所で、一人でエアーで練習していたんですよ。「いらっしゃいませー! 生ビールですか。わかりました!」って(笑)。
千聖:イメージトレーニングって大事ですよね。
光山:この形態模写みたいなことをするのが大事かはわからないけど、イメージすることは大事。今でも皆に言ってるんですよね。僕、元々酒屋で、工事している店を見ると飛び込み営業に行ってたんですよね。何ができるのか聞いて、飲み屋になるって言われたら、メモを書いて名刺を置いていく。そういうことをやっていたので、『わ』の前は人通りも多いし、何ができるのか皆気になるだろうなと思って、よし、気になるんやったら答えを書いといてやろうと思って画用紙をいっぱい買ってきて、工事中の柱に、こんな店ができますというのを貼ったんです。その下に、どんなやつがやるのかも書いておいたほうがいいなと思って、中央大学野球部でとか、こんなやつですというのを書いて、その二つは固定で。あとは毎日朝9時に来て、日記を書いて貼っていたんです。そしたら、立ち止まってそれを読んでくれる人が増えてきたんですよ。
千聖:オープン前ですよね?
光山:工事中だから、やることないねん(笑)。で、ここまで見てくれるんだったら、もうちょっとやり取りしたいなと思って、A4の紙を貼ってボールペンをぶら下げて、質問コーナーを始めたんです。誰かが書かないと続かないと思ったので、一つだけ「魔王は飲めるんでしょうか?」「はい、飲めます。一杯500円です」って俺がサクラで書いておいたんですよ。そしたら、ブワーーーッと質問が(笑)。
千聖:(爆笑)
光山:「○○○○ビールの営業の△△です。弊社の取り扱いもぜひよろしくお願いします」とあったので、「あなたみたいな立場の方は、目を見て挨拶しに来てください。ここに書くことではありません」と(笑)。
千聖:(爆笑)。すごいなぁ、面白いですね(笑)。
光山:その時を知っている人は未だに「あれ、すごいですよね」って言ってくれるけど、俺はホンマに早く店ができないかなと思ってただけで。音楽だったら、歌ったりギターを弾いたりできるけど、何もできないから(笑)。本当にエアーでしかできない(笑)。
千聖:自分でエアー研修するしかなかったんですね。
光山:1回だけ、知り合いの和食屋さんの休憩時間を借りて肉を切ってたら、俺の姿を見て「今までに調理経験はあるんですか?」って。「全くないです」って答えたら「ですよね」って言われて(笑)。切り方が危なっかしかったんですよね。当時、肉を切る時になぜか押さえるほうの手の小指が出てたんですよ(笑)。
千聖:(爆笑)。それは、和食屋さんもビックリしますよね(笑)。
光山:「やったことないですよね?」「全然やったことないっす。なんとかなると思うんすよねー」みたいな(笑)。
千聖:そんな秘話があったんですね(笑)。そこから、切り方はなんとなくわかってきたんですか?
光山:言っても、今はホルモンなんてほとんど切るだけやん。昭和の時代は、もっと掃除をしないとあかん状態で仕入れて、店の人がやってはったんやけど、今はそんな時代じゃないから助かってる。掃除しろって言われたら無理やわ。取り出したまんまのミノって見たことないでしょ? ビックリするよ。葉っぱみたいなのがグワーッて付いていて、それを湯で取っていくんですよ。昔、知り合いからそのままの状態で届いた時に、ビックリしてそのまま捨てたんですよ(笑)。開けた時の臭いが忘れられない。
千聖:精肉の専門の方か、博物館くらいしか見ないですよね。待望の『わ』をオープンして、そこからサクセスストーリーというイメージがあります。飲食店ってバンドと同じくらい潰れやすいというイメージもあるんですけど、最初はどういう思いでやられていたんですか?
光山:店が始まってから、お金の苦労はしたことがないんですよ。7坪10万5千円の家賃の店で、たぶん2003年くらいの売り上げだと、日販(1日の平均売上高)6万8千円とか。十分でしょ? なので、支払いできないヤバい、みたいな苦労はしてないです。当時、焼酎ブームの流れだったので、そこに乗っかったんですよね。当時はロックグラスに氷が入って、数cmの量が入っている黒霧島で800円くらいしたんですよ。富乃宝山だと1,200円くらい。伊佐美や魔王だと2,000円。うちは、同じコップでかち割りの氷を入れて、量を倍以上入れて、税込500円だったんです。俺は価格破壊をしにいったわけじゃなくて、適正価格でやったつもりだったんだけど、皆めちゃくちゃビックリして。
千聖:でも、原価計算はしっかりされていたんじゃないんですか?
光山:全然。皆の流れでその値段で売ってもよかったんだけど、それはおかしいやろと思って、そういう値付けをしただけで。当時、神泉にある「古典」という焼酎バーがすごく有名で1回行ってみたら、黒麹旭萬年という当時入手困難だった焼酎がほんの40mlか50mlくらい出てきて、女性のお客さんが「萬年あるんですか!?」って1,250円で飲んでたんですよ。えっ、これ1,250円でキャー言うてるよ。もしかしたらいけるんちゃうかなと思って(笑)。手に入るルートはできてるし、500円で全然出せるけどなと。一升瓶2千円台の商品だから、4杯売ったらもうチャラやんけ。「古典」さんが勇気づけてくれました。
千聖:光山さんの中で、焼酎ブームの流れが来るなというのはわかっていたんですか?
光山:九州から大阪に流れが来ていたんですよね。吉祥寺って未だに都内よりトレンドが1年くらい遅れていると思うんです。だから、焼酎メインでこういう店をやろうと思うという話を飲んでる席ですると、「JINROと鏡月が並ぶんですか?」って言われて、えっ…この地域まだそんなこと言ってるの?ってビックリした(笑)。出しても、早過ぎて気付いてもらえないかもしれんって思ったけど、結果盛り上がって、当時あれだけの焼酎が並んでいる店もそんなになかったので、皆、酒だけ飲みに来ていましたね。ところでツマミ何があんの?みたいな。七輪で肉を焼いて、美味しいと言ってくれて、それがだんだん逆転していったんですよ。
千聖:最初はバー的なイメージでお客さんが来ていたんですね。
光山:当時から焼酎のお湯割りにするのも黒じょか(耐熱陶器で作った、焼酎を温める時に使う酒器)を使ったり、割る水も九州から引っ張ってきたりして、ちょっとこだわっている感じだったんですよね。
千聖:お酒が好きな人たちにはたまらない感じにはしていたんですね。そういう流れから、暖簾分けじゃないですけど、「をん」(2006年)や「たるたるホルモン」(2007年)、色々オープンしていますよね。
光山:「をん」は和食屋さんで親戚がやっているんですけど、これが本当の2軒目ですね。いいところで修行していた親戚が店をやりたいと言うから、お金を出して俺の経営でやったら、毎日客ゼロなわけ。よく繁盛店が2軒目をやったらコケるって言うけど、ホンマに『わ』のお金が全部出ていく、ヤバいと思って。毎日売り上げの報告が夜11時に来るんですけど、「今日はゼロでした」「一人でした」っていう日々が続いていて。でもモチベーションが下がったら困るから、知り合いに3万円渡して、これで行ってきてと。そしたら「今日は二人で2万5千円使ってくれました」と報告が来て「よかったなー!」と。俺の金なんすけどね(笑)。本人は未だに知らないですよ。それをずーっと繰り返して、とりあえず繋いで、いつか誰かが見つけてくれてパッと広がるやろうと。
千聖:とにかくキープすることが大事だったと。流れに乗るのに時間がかかる業態もあったということですね。
光山:これはかかりましたね。今ちょうど10周年です。
千聖:それから「たるたるホルモン」を。
光山:これは直営なんですけど、フランチャイズ的な中目黒の小野田商店は今も爆発的に流行ってるよね。そこが初めて人に投げた店ですね。小野田商店の大将は元広告代理店勤務で、元々毎日『わ』に来ていたお客さんで、会社を辞めて店をやりたいと言うから、逆に言うとその子で試させてもらったんですよね。店の中でも俺が名物キャラみたいになっていたので、自分がやってきた業態を人に投げて、違うキャラでやった時に、いけるのかどうか。まぁスタートダッシュもよく、今も続けてくれてるし、よかったなと。
千聖:中目黒で店をやっている知り合いに、塩ホルモンだったらすごく有名なところがありますよって連れて行かれたのが小野田商店だったっていう(笑)。「たるたるホルモン」は2号店のイメージだったんですけど、違うんですね。
光山:『わ』の直営の2号店ではあるけど、俺の経営というところで言うと、間に何個か挟んでいますね。
(後編に続く)
(文・金多賀歩美)
光山英明
<プロフィール>
1970年、大阪生まれ。1988年、上宮高校野球部主将を務め、第60回センバツ大会出場ベスト8を記録。1989年、中央大学に進学し、野球部に入部。卒業後、地元大阪にて10年間のサラリーマン生活(卸酒屋)を経て、2002年11月15日に吉祥寺にて現在の『わ』をオープン。2007年8月に「たるたるホルモン」を、『わ』10周年に当たる2012年11月15日に『肉山』をオープン。また、数々の飲食店のコンサルティング、プロデュースも手掛ける。
■光山英明 オフィシャルブログ
http://www.kojin-shouten.com/wp/
【『肉山』情報】
住所:東京都武蔵野市吉祥寺北町1-1-20 藤野ビル2F
TEL:0422-27-1635
営業時間:月~金17:00~、20:00~/土日12:00~、17:00~ ※不定休
☆12月に肉山大阪、肉山新潟、肉山おおみやが立て続けにオープン!
【『わ』情報】
住所:東京都武蔵野市吉祥寺北町1-10-22
TEL:0422-23-3320
営業時間:17:00~翌3:00 ※ほぼ無休
【たるたるホルモン情報】
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1-33-9
TEL:0422-22-3199
営業時間:17:00~翌3:00 ※ほぼ無休
千聖
<プロフィール>
HAKUEI(Vo)、千聖(G)、O-JIRO(Dr)によるロックバンド・PENICILLINのギタリスト。1992年結成。96年にメジャーデビュー。98年には後に代表曲となる『ロマンス』をリリースし、90万枚を超える大ヒットを記録。結成20周年の2012年、ファン選曲ベスト盤『DRAGON HEARTS』、メンバー選曲ベスト盤『PHOENIX STAR』をリリースし、2013年2月、渋谷公会堂にて20周年ファイナル公演を行った。2015年3月には昭和歌謡をカバーしたアルバム『Memories ~Japanese Masterpieces~』をリリース。また、PENICILLINの活動と並行してソロプロジェクトCrack6としても精力的に活動を展開。2013年には活動10周年を迎え、2016年6月、ニューアルバム『薔薇とピストル』をリリース。2016年11月、PENICILLINニューミニアルバム『Lunatic Lover』をリリース。2017年、PENICILLINは結成25周年を迎えるアニバーサリー公演&東名阪ツアーが、そして「千聖」名義ではソロデビュー20周年を迎えるBEST ALBUMのリリース&東名阪ツアーが決定している。
■PENICILLIN オフィシャルサイト
http://www.penicillin.jp/
■Crack6 オフィシャルサイト
http://www.crack6.jp/