2011.5.12

jealkb@赤阪BLITZ
『鳥薔薇ノ空』ファイナル

 

ファンクラブの2009年11月14日の品川ステラボールを皮切りに、バンド史上最多全国20カ所をまわった『LIVE HOUSE TOUR 2009-2010 異薔薇ノ未知』のツアーファイナルであったJCBホールのライヴ(2010年4月17日)を最後に、ギターのmoftとキーボードのchaosが脱退し、5人編成バンドとして再スタートを切ったjealkb。2人のメンバーの脱退後、一度は解散も考えたという彼らだが、結成当初からの夢である【武道館公演】を実現させるために、決意表明とし、『始薔薇駆ノ五』(2010年5月24日)と名付けた5人での初ライヴを、彼らが初めてワンマンライヴをした思い出の場所でもある渋谷CHELSEA HOTEL(キャパ300ほどのライヴハウス)で行なったのだ。 そして。2011年2月9日。5人編成になって初のメジャー第2弾となるフルアルバム『Invade』を見事完成させたのだ。より激しく、よりキャッチーに、よりバンドらしく、とことんjealkbを追求した現時点での最高傑作を引っさげ、彼らは翌日である2011年2月10日からツアー『鳥薔薇ノ空』をスタートさせたのだ。

 

初日であったshibuya eggman(2011年2月10日)でのライヴは、2枚目のアルバム『Invade』から初披露曲が多いということでも、普段よりも緊張度の高いツアーとなったが、ツアーファイナルであった赤阪BLITZでのライヴは、全国15カ所を全力でまわりきったという達成感漲るものだった。

 

2011年5月12日ツアーファイナル。あいにく雨足の強い悪天候となったが、会場は超満員。会場入りしたジュアラー(彼らのファンの名称)を退屈させないために、開演30分前から、この日のためだけに用意されたメンバーの面白映像が流されていたのだ。

 

バンドであり、ただのバンドにはおさまらないのもjealkbの個性なのだ。 ツアー初日の演出とリンクさせていたオーディエンスを巻込んだオープニングからライヴをスタートさせた彼らは、アルバム『Invade』の幕開けと同じく1曲目に「殺気撩乱」を置いていた。時おりアイコンタクトをし、息を合わせるediee、dunch、elsaによって生み出されるヘヴィなサウンドに、haderuとhidekiの声が絡み付いてさらに楽曲は激しさを増していく。まず、なによりも音圧が増したことに驚きを隠せなかった。彼らはこのツアーを経て、想像以上の成長していたのだ。これまで、haderuが中央に位置し、センターを守ってきていたのだが、この日のステージではhaderuとhidekiが中心から等間隔に左右に位置し、終始振りをユニゾンさせるという新たな見せ方が加わっていたのである。

 

なんとも素晴しいフォーメーションだ。「東京! 帰って来ました! 会いたかった?(客席からは「会いたかった〜」の声)ばぁか、何言ってんだよ、俺たちの方が会いたかったよ!」(haderu) haderuがお決まりの殺し文句を客席にかますと、haderuの歌声が真っ直ぐに胸に届いたロッカバラード「静かな夜」をアンプラグドな世界観で届けジュアラーたちを魅了した。

 

そして。この日最初のゲスト・はるな愛の登場だ。CDジャケットを一緒に飾った「makemagic」をダンスと歌で盛り上げると、ライヴはその流れで一気にエンタテイメント性の強いステージへと形を変えていった。いつもはバンド形式で届けられる「傷心マキアート」が、全員楽器を置き、ダンスと歌で見せるという別バージョンで届けられたのだ。

しかし、この“5人によるダンスバージョン「傷心マキアート」”は、haderuの突然の想い付きによって、ナント、他のメンバーには当日本番まで伝えられず、本番いきなり行なうことになったというもの。オーディエンスへのサプライズはよくある話だが、メンバー本人までもがサプライズにあうとは……まったくもって奇想天外である。彼らのライヴには、常にそんなサプライズとイタズラが存在する。オーディエンスをも巻込んだ一体型の遊びは、彼らにしか出来ない技。本気の演奏と笑いの耐えない演奏合間の見せ方。寸分の無駄も許さないエンタテイメント魂は、右に出る者はいない。

 

ゲスト2人目はThe 冠。筋金入りのシャウトで盛り上げたThe 冠。「DISCHARGE with Tetsuya Kanmuri[The 冠]」でメタル魂をぶちかますと、ライヴは更にディープな世界へとなだれ込んでいったのだった。「メンバーが7人から5人になったとき、“2人が戻ってくるまで続けた方がいい”って背中を押してくれたのはこの人でした——」(haderu) とhaderuが呼び込んだのはムックの逹瑯。『Invade』の12曲目に収録されている「恋心」は、この逹瑯の作詞作曲によるモノだ。いままでのjealkbにはなかった異色な世界を、haderuと逹瑯のツインボーカルとhidekiのコーラスで届けたのだった。

 

そして彼らは本編を「WILL」で締めくくった。“見えない未来だけど歌ってあげるよ声の限り”“明日を描こう一緒に歩こう———” そう歌われる「WILL」。柔らかな空気があたたかくジュアラーたちを包み込んでいた。

 

アンコールを求めるジュアラーたちの“JKBコール”によって再びステージに戻ってきた彼らは、言葉を挟まずヘヴィなナンバー「La Vie En Rose」を届けると、次に用意されていた「D.D.D」で日頃から交流の深いyasu(Acid Black Cherry)をステージに呼び込み、本編に勝るほどの熱さでフロアを盛り上げたのだった。“バンドマンは、ライヴがやりたくてバンドを組むんです———”という根っからのバンドマンのyasuが自らが主催するライヴに彼らを招くほど、彼らの音と歌は本物なのだ。

 

5人でのステージングにも、サウンド面にも安定を感じたこの日のステージ。アルバムの中でも、目を見張るバンドアレンジを見せつけてくれた「腐敗した世代」や、古くからライヴの定番曲として人気の高い「killss」など、見事な音圧とテクニックでやりきった彼ら。ラストはこのライヴに参加してくれたアーティスト全員と大セッションで締めくくったのだった。

フロアからはジュアラーたちからの“ありがとう”の声が響きわたっていたのがとても印象的だった。もう彼らのことを“芸人が片手間にやっているお遊びバンド”と呼ぶ者はいないだろう。かつては誤解も多かったバンドだが、ここまでやりきるには相当な覚悟と練習が必要だし、生半可な根性では続かない。

音楽性ももちろん、そんな彼らの精神も、ジュアラーたちが彼らを愛する理由なのだろう。そして、そんな彼らだからこそ、こんなにも多くのアーティストが親身になり集まってくるのだろう。

この日も、ライヴが終わった後の会場には1985年の10月にリリースされ大ヒットした爆風スランプの『大きなたまねぎの下で〜はるかなる想い〜』が流れていた。 彼らが結成当初から目標とする場所がモチーフとして綴られたこの曲は、彼らが大きなたまねぎの下に立つ日までのテーマソングなのだ。きっとその日は来る。

大きなたまねぎの下で彼らを見られる日を楽しみに待つとしよう————。

 

 

(文・武市尚子)